死刑の意味

死刑執行10年、でも許せない...終わりのない遺族
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081216-OYT1T00112.htm

遺族の

「犯人は死刑になったら、それで終わりかもしれない。でも、私たちは死ぬまで事件を引きずって生きていく。無期懲役にされたようなものです」

という苦しみを逆手にとって、頭のおかしい人権派(笑)人間は「死刑は意味がない」と言うかもしれない。

ああ・・・なんと浅はかな・・・

この遺族は「死刑にしてもまだ足りない」と言っているんじゃないか。「死刑にしなくてもよかった」とは一言も語っていない。
「犯人が死刑になる」のは当たり前のことで、それ以上の何かが遺族には必要なのだ・・・という話だ。

この犯人は絶対に許されないが、

聖書を読み、「『あいつを殺すのは惜しい』と言われるような人間になってから執行されなければ、泰州ちゃんの命とのバランスが取れない。心の豊かな人間になりたい」とも語った。泰州ちゃんの命日には、冥福を祈っていた。

という部分で、少なくとも人権派(爆笑)人間よりはまともな「人間」になれたということだろう。

この犯人の心情は、まさしく本村洋氏がかつて語っていた死刑の意味と一致するではないか。
本村洋氏は「犯人が反省して、真人間になって、それでも死をもって罪を償わなければならないことに、死刑の意味がある」と言っていたが、犯人も、深く考えれば同じ結論に達するらしい。

「他の国が死刑廃止に動いているから」なんてわけのわからん理由で死刑廃止を語っているテーノーな方々とか、反体制っぽいことを言ってると「俺って一般市民より優秀」と自己満足できるんだよな、俺・・・という人権派(涙)人間には一生わからないことであろうが・・・

死刑は人権派(もう、この言葉、冗談にしかならんから使うのやめたら?(^^;)人間たちが語っておるような内容で廃止が議論されるべきではない。
犯罪を犯し、死刑が相当であると判断された人間の側にたって行なわれる廃止議論など意味がない。
死刑廃止の意味を「犯人の人権」に求めるやつらは、思考が停止しているとしか思えない。
実は僕は死刑廃止に反対しない。何が何でも死刑が存続されるべきとも思っていない。しかし、今の死刑廃止論者はレベルが低すぎる。「死刑廃止の理由が論じるに値しないレベルの低さ」なのである。

特に「犯罪者の人権」を中心においた議論はまったく的外れで幼稚すぎる。
犯罪者は「義務を果たしていない」から、我々と同じ人権を「持ちようがない」のだ。
まずその基本が理解できない人権派(恥)人間とは、まともな論議が出来るはずがないのである。

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このページは、shinodaが2008年12月16日 12:55に書いたブログ記事です。

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