男女平等とは、決して「女性が男性になること」ではない

Amazon である本のレビューに

今思えば気づくのが遅かったのだけれど、会社社会での男女平等とは、「女性が男性になること」だったのだ。でも本来、「男性」と「女性」は決して同じじゃない。ではどこが違っていて、それを乗り超えて多様性を担保する社会であるためには、どういう言葉(コミュニケーション)が必要なのか。

という一文があって、「ああ、それそれ」と膝を叩いた。
以前からうまい言葉が見つからなくてもやもやしてたんだけど、その立ち込めていた霧がすーっと晴れた思いだわ。

どうも、世のフェミニスト(わかりやすい例で言えば田嶋陽子とかな(笑))の言葉が響かないのは、この「女性が男性になること」に基づいた思想だからだ。
「男性と同じことを出来るようになってこそ女性は開放される」という誤った思想を基に男女の有り様を語っても、そりゃ理解されんよ。間違ってるんだから。

まあ、この手の人たちは、元々性差を考慮しない「男女平等」論者が多くて、社会的には馬鹿扱いされてるわけだけど(周りに同じような馬鹿が集まって持ち上げるから、ある狭い世界の中では「先生」なんだけどな(笑))、「女性は男性にはなれない」ことを理解した上で、「男女公平」を唱えていくのが正しいフェミニズムだよな。

別のブログで「(母子家庭など、母親が家計収入の主たるものとならざるを得ない場合を除き)働く女性への子育て支援なんかせず、女性が堂々と専業主婦をやれる社会になれば子供は増えるよ」という意見を読んだが(もちろん、それだけで済む単純な話ではないのを理解した上で)これはその通りで、なんか、田嶋陽子あたりの誤ったフェミニズムと同じ根を持つ問題があるな。

・・・と、一応メモ代わりに書いとく。

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このページは、shinodaが2015年1月 7日 12:36に書いたブログ記事です。

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