俺思想: 2010年10月アーカイブ

ええと、娘の名前は、QUEEN の「Seven Seas Of Rhye」という曲から取りました。
いや、マジで。(笑)

俺の一番好きな QUEEN の歌なので。:-)

邦題は「輝ける七つの海」ですが、直訳すると「ライの七つの海」。ライという七つの海を持つ王国に君臨する偉大なる王の歌っす。

デビュー当時、「ロックにしちゃ難しすぎる」とか言われて英国の音楽業界から正しい評価を得ていなかった QUEEN が、自分たちを偉大なる力を持った「ライの王」に、そして「頭の固い評論家」や「既得権益を守る(新人つぶしをする)レコード会社やアーティスト」を「君主」「伝道師」「貴族」「枢密院議員」「元老院議員」などの「古くさい権威」に例えて扱き下ろした歌です。

新たな王の出現で、古くさい権威は全て崩壊し、彼らも新たな王の前にひれ伏すしか無いと歌っています。

色々歌詞の訳はあるんですが、俺は下記のような感じで訳してます。
かなり意訳です。
でも、かなり QUEEN の思いを正確に表現出来てると自負してます。

まあ、QUEEN の歌に限ったことではなく、あっちの歌詞は、I(私)が表している意味が行毎にころころ変わったりするので、それをどっちの I に取るかで、訳も人によって全然違って来ちゃいますからねえ。
この歌も、I って言ってるのが「ライの王」のことなのか、支配される国民たちのことなのか、訳す人が判断するしかありません。
で、俺は、下記のように訳してみたのだね。(すげえ意訳よ(^^;)

<輝ける七つの海>

かつてこの地を支配した者よ!古き教えの伝道者たちよ!私を見て恐れ戦くがよい
私は遙か天空よりこの地に舞い降りたのだ
私を信じないお前たちを私の手で支配するために
さあ、お前達に命ずる
輝けるライの七つの海を私の前に差し出すのだ!

貴族たちよ!枢密院議員たちよ!さあ、私の声を聞くがよい
そして私の姿を見るがよい!今、お前たちの目には君臨する私の姿が映っているだろう
私に背くものは、全て消し去ってしまおう
お前たちは私のものとなるのだ
私はお前たちを輝ける七つの海の王国へ導くのだ!

女たちよ お前たちのために私はここに生き続けよう
男たちよ 私を倒し、私に死を与えてみるがよい

私はこれから未来永劫、お前たちを支配し続けるであろう
お前たちは永遠に私の虜であり続けるだろう

延々と吹き続ける嵐の中を私は飛び続けよう
熱き炎や雷にも私を止めることは出来ない
お前たちの信じる自然の法則も私を支配することはできない
私はお前たちの前に何度でも復活するだろう
そうだ、死しても再びお前たちの前に私は現れる

保身に汲々とするかつての支配者たちよ!
私は善き力で世を満たし、悪を滅ぼす
私は巨大なるタイタンと偉大なるトゥルバドールを超える力を持つ
私は微笑みをうかべ
そしてお前たちを輝けるライの七つの海へ誘なうのだ

こんな感じで。

で、俺は別に「ただ好きな曲だから」という理由で娘にこの歌から取った名をつけたわけではないのだ。
俺は、娘に、このライの王のようになってほしいのだ。七つの海を駆け巡り、自分の力で、自分の信じるがままに事を成せる者に。
いや、ま、嫁は「そんな人生イヤ!普通に幸せになってほしい」と言うのだが(^^;

まあ、半分は冗談なんだけど、でも、ほんとに、女だからと言って、「常識的な女」という殻に閉じこもることなく、ある意味「王のように」好きに生きてほしいとは思っている。

だから、そういう意味を込めて俺は娘に「ライ」という名を付けたのです。(嘘)

ところで、Sheer Heart Attack というアルバムの「谷間のゆり」という曲の歌詞の中に「七つの海からの使者たちがライの王は倒されたと告げた」というのがあり、この偉大なるライの王といえども、栄華は永遠には続かないということのようです・・・(^^;

とほほ。(^^;

いやいや、娘が倒されないように、俺が護るのだ!

子供たちの名前には、ちゃんと意味・・・つうか、親の「思い」を表現したいと思ってた。

だから、反対に字画なんかは一切気にしなかった。文字ひとつひとつに意味があるのに、字画を気にしてそれを変えるのは絶対いやだったのだ。俺と嫁のどっちの親族にもそういうのを気にする人がいなかったので良かった。:-)

だから、息子たちの名前は俺の思い、哲学そのものである。

「人のため、社会のためになろうと思えば、人より賢い人間にならなきゃ駄目」「空を舞う飛行機のように、思うまま自由自在に生きていく力が大切」という俺の思いを名に込めた。

要は、「世の中上手く渉っていく賢さを持て」ってことだ。そういう生命力を「狡い」と否定する人もいるが、大間違いである。
「狡賢い」と「賢い」は全然別物なのだ。

人が100%の力を出さないと突破出来ないことを、80%の力で突破する賢さを持てということなのだ。不正を働かず、正々堂々と80%の力で事を成し遂げる賢さをだ。
人間、「馬鹿正直」にならなくても「正直」であればいいのだ。

他人が汗だくになってやってることを、汗もかかず成し遂げることを恥じと思うな。それは「賢さ」なのだ。そして、余った力を他人のために使えばいい。それが大切なのだ。

いや、もちろん、スポーツとか、勉強とか、そういう「挑戦」は100%の力を出さないといけないよ。一応、これは補足しとかないと「手を抜くこと」と一緒にされちゃたまらんからね。100%の力で「自分の限界に挑戦すること」はもちろん尊いことだ。

ま、つまり、そういう思いを二人の息子には託しているのである。

いや、まあ、息子たちがその通りに育っているかとか、そういう話は別の問題で。(^^;

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