俺思想: 2011年6月アーカイブ

さて、原発の話の続きを書くか。

あ、そうそう。昨日俺が原発のことについて書いたことに対して、仕事仲間のSゲルさんが、

私も「原子力発電所のことについて...」

というタイトルのブログを(必要であれば・・・という前提のようだが)「原発はあり」の立場から書かれているので、こっちも読んでみてちょ。
俺のいい加減な内容と違って、色々な情報へのリンクもあってためになるよ。

こういう意見のやりとりは非常に勉強になって大歓迎です。

つーことで、原発のことについて書く前にまず宣言しておくと、俺は「何が何でも原発を建てたい」推進派と、「原子力アレルギー」による(例えば、日本は被爆国なので原発を作るべきではない的な)反対派という両極端な人たちは「そんな馬鹿どもの意見や思いなんか聞く必要なし。時間の無駄」と思っているので、コメント書いてくれても返信しないと思うから夜露死苦。あ、よろしく。

で、現時点で原子力発電所の今後について話をする時の論点は、

・原発は「必要」なのか、「不要」なのか
・原発を造り、運用していく「技術力」が「十分」なのか「不十分」なのか

の二点しかないと思う。

利権がらみとか、政治、思想がらみであれば上記の論点から外れる場合もあるだろうが、最初に書いたようにそういう輩の話は「馬鹿どもの戯れ言なんで、無視、無視」ということだ。

んで、上記二点のうち、まず、必要か不要かだが、俺は不要と思っている。

全ての原発を今すぐ止めれば「多少の不便」は発生するかもしれないが、少なくとも「わざわざ」新規に原発を作る必要性というのは無いと思っている。
上関の原発がなければ電力が足りなくなる!というのであれば、今から原発以外の手(代替方法の検討、節電・省電力技術の開発)を打っていけばいいだけの話だろう。
「原発がないと日本の産業が『壊滅的な打撃』を受ける」なんて、悲観の度がすぎよう。

次に、技術力だが、ここが問題。
多分、(御用学者や、原子力開発に直接かかわっている技術者でなくても)大学で物理学を学んだり、あるいは技術系雑誌などを愛読していたり、そういう「技術系の人」はこぞって日本の原子力発電に関する技術の高さを声高に訴えるだろう。

そこが大きな間違いだ・・・と思う。
設計が素晴らしいものでも、施工段階で手抜きをされたり、設備がすごくても、運用でミスをされたり、そういう具合にトータルで「技術力」を考えれば、日本の原子力発電は決して「高い技術力」なんかもっていない。

いや、そこは直していけるところだろ?と考えるのがあまい。

なにをどうしたってミスをするのが人間だし、そもそも「地元雇用」という足かせがあるかぎり、レベルの高い運用なんか夢のまた夢である。

確かに、研究段階、あるいは設計段階での技術力は日本は高いものをもっているのかもしれない。でも、それを形に出来ないのが今の日本である。
技術力がないから仕事がなくてキュウキュウいっている地元の土建屋が建設にかかわり、まともな職につけなかったヤツが親のコネで電力会社の子会社に就職して運用する、それが日本の原発だ。
どこに、世界に誇れる技術力があるというのか?
酒を飲んだらパチンコとキャバクラの話しかしない男に運用されてる原発なんていやだ。

まあ、これが今現在の俺の思い。
実際、点検後に工具を原子炉内に忘れたり、ウラン化合物をバケツで溶解してたり、ちょこちょこ出てくるその手のニュースは氷山の一角なのだろうと思うしね。
最近、メシと仕事のネタばかりなので、ちょっと別のことも書いておこうか。

ということで、最近一番の熱いネタ「原発」について。

何せ、山口県は上関町が建設予定地になってるからね。あんま他人事でもないんだよね。事故が起きたら、周東町なんてモロに影響範囲内だもんね。ダッシュ村並に祖生なんかも消えてなくなっちゃうよ。(^^;

ということで、まず、原発そのものについてだけど、俺は「そんなものは世の中に不要」だと思っている。
理由は、「放射能は人間が制御しきれない代物だから」だね。
まあ、今更そのことについてあれこれ言うのは不要だろう。東北の惨状を見れば明らかだからな。やっぱ、漏れた放射能を人間は制御出来ないんだな。

なんて言うと、すぐに原発なかったら電気が不足して原始時代みたいな生活に戻ってしまうとか言い出す馬鹿がいるが、原子力発電分の電気が不足したくらいで、原始時代みたいな生活に戻るわけないやろ。つーか、昭和レベルまでも戻らんわ(笑)

まあ、今、一気に原発を廃炉にしてしまっても電気は十分足りるという意見も眉唾だが、それにしても、少々不便な生活に・・・くらいで済む話だと思うがね。それに、電気が足り無いということになれば、更に省電力や別の発電方法の開発が(戦争が科学技術を発展させるように)加速していくと思うよ。

ま、そういうわけで、当然上関の原発建設にも反対なわけだ。
ここは明確にしとくよ。俺は上関の原発は反対だからね。それは、もう、20年以上前からずっと反対している。これは今後もぶれないよ。

20年くらい前、まだ、うちの親父が町会議員をしていた頃、周東町は議会で上関の原発建設を容認したんじゃなかったかな。
確か、俺はその頃広島に住んでたんだけど、里帰りした時に「上関の原発が事故起こしたら、俺は広島にいるんで死なないけど、親父は一発で死ぬな。つーか、多分長いこと寝たきりで苦しんだあげくに死ぬな。周東町はそういう『影響範囲内』だからな。ちゃんと議会で反対してんだろうな?」と親父に聞くと、「いや、議会で建設を容認した」とかいう答えが返ってきて、親父も含めて当時の周東町議会議員は全員どうしようもない腐れボケだな・・・と思った記憶があるよ。
ま、ちょっと時期的なところに記憶間違いがあったらごめん。

ま、以上が俺の原発に対する立ち位置。

あ、そろそろ会社に行かなきゃ。
ということで、原発ネタについては今度改めて続きを書きますぞ。
上関の人たちが腑煮えくりかえるような内容になります。先に言うとくけど、ごめんね。

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