本とか雑誌: 2018年3月アーカイブ

推理小説作家・内田康夫氏が、13日に亡くなっていたようだ。

ちょうど、1990年代、20代後半から30代の頃にかけて、「浅見光彦シリーズ」にハマっていたなあ。

弟や、その友人。結婚してからは嫁さんなんかもハマってて、誰かが新作買ってきたら奪い合うように回し読みしてたなあ(笑)
まあ、1990年代後半あたりから、すっかり「推理小説」としての魅力は無くなってたんだけど(^^; 浅見光彦のドタバタ記的に読んでただけな気もする(笑)

内田氏本人がどっかのインタビューか文庫本のあとがきあたりで語っていたと思うが、途中から内田氏は浅見光彦シリーズをろくなプロットもなく書き出す・・・という制作スタイルを取り始めた。「取り敢えず書き始めたら、あとはキャラが勝手に動いてくれるんですよ」とか言いながら「ご都合主義」の、俺の感覚から言うと「推理小説とは呼べない」レベルの作品を連発するようになる。

正直、こういう制作スタイルで「推理小説」の名作が生まれる可能性はかなり低い。
俺は、推理小説というのは作者と読者の騙し合いだと思っている。作者は物語序盤からきちんと「犯人に結びつく伏線を正々堂々と提示し」、それでいて最後のどんでん返しまできれいに読者をミスリードしていく物語展開をもっている物のみが「推理小説」と呼ぶことが出来る本物の作品だと思っている。

ところが、「取り敢えず書き出した」作品はそういう「作者と読者の騙し合い」「読者が推理を働かせる余地をもった展開」といった要素が希薄で、単なる「他人(物語の主人公)が推理をしていく過程を見るだけのルポ小説」・・・いや、「他人の推理」すらない、「なんか偶然証拠が見つかって、犯人が逮捕されるまでのルポ小説」でしかなくなる。浅見光彦シリーズが(他の内田氏の作品はそんなに読んでないのでわからず)まさにそういう作品に堕ちていた。

「取材旅行」と称して物見遊山な旅をし、一応作品にしとかないと出版社から取材費出んし・・・的に無理矢理作品にしてたんじゃないかと疑うレベルだった(^^;

だから、後半の浅見光彦シリーズしか知らない人は、俺がそのシリーズのファンだとか言うと「え?あんな、西村京太郎氏や山村美紗氏レベルの推理小説とも呼べないような作品が好きなの?よくそれで推理小説ファンだとか言うなあ」とか思っちゃうだろう。ま、その辺りは容易に想像できたので、推理小説ファンなんかと話をする時は、「そうですねえ。新本格ミステリー系が好きなんで、綾辻行人とかあの辺が好きかなあ」なんて答えていたのだ(笑)

・・・が、初期の浅見光彦シリーズには実際名作が多かったのだ。
一作目の「後鳥羽伝説殺人事件」、二作目の「平家伝説殺人事件」あたりは是非読んでみてほしい。とくに「平家伝説殺人事件」はシリーズ屈指の作品である。

・・・と、内田氏をディスってんのか褒めてんのかわかんない内容になりましたが、内田氏のご冥福をお祈りいたします。

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