田舎生活: 2008年9月アーカイブ

080928_154506.JPG用事も済ませて、さて、陽も高いがビールなど一発決めて、のんびりと残り少ない休日を楽しむか・・・と思っていた日曜日の午後3時。
親父から「もち米を刈ってたら稲刈り機が田んぼのじるいところ(ぬかるんだところの意)に埋まった」との電話あり。
稲刈り機のタイヤの下に敷く板を持って田んぼに急行。稲刈り機は無事救出。さっさと帰ろうと思ったんだが・・・むー・・・近所のおばさんが稲刈りを手伝ってくれてるよ・・・これじゃあ、俺だけ帰れませんよ・・・(^^;

というわけで、何年ぶりかで、はぜがけをするはめに・・・

はぜ木を立てて、その間に竹の竿を渡して、そこへ刈り取った稲を下げていくわけですな。

いやぁ~・・・きつい。
しゃがんでは竹に掛けて・・・という動作を繰り返しているうちに、確実に腰にきます。(^^; しかも、俺だけ太ってるんですげえぬかるんだ田んぼに足が埋まるし・・・(^^;

もち米の場合は今でもこうしてはぜがけすることが多いっすね。
やっぱ百姓仕事はきついぜ。
安易な気持ちで百姓にならないようにね>田舎にあこがれている人(笑)

080927_153902.JPGなんか、鼻がむずむずするし、もしかして風邪?

土曜日に、近所の悪がきどもに付き合って川遊びをさせられたからなあ・・・(^^;

庭で小学1年生の次男坊とキャッチボールをしていたら2年生の男児二人が登場。
今日は3年生以上は野球やキックボールの練習があって誰も遊んでくれないからと、暇を持て余し自転車で村内を走り回っていたらしい。そこに、獲物として目をつけられたわけだ。>俺。(^^;

「おいちゃん、大人が着いて来んと川に行っちゃあいけんけえ、着いてきて。」

結局、うちの息子も含めて4人で川遊びですよ。
最初はうちの前の用水路(下水も流れるので決してきれいではない川)でハヤを獲って遊んでたのだが、「ゴリがおらん。ゴリがおる川に行こう」と島田川の本流に移動。

ここで、「チンコまで濡れたぁ」と下品なことを言いながら、下半身は完全に水面下の状態で網を振り回す馬鹿ども。(笑)
はっきり言って「かなり水は冷たい」状態なのに、興奮して「俺、ここで泳ぐ」と言い出すし。(^^;
さすがにそれは「風邪ひいたら俺のせいになるじゃん!絶対駄目!」と制し、俺は長男坊を迎えにいかないといかんので、「さあ、おいちゃんは用事があるけえ、もうあがるぞ。」と命じる。
一応、それに従って後ろをついてくる悪がきどもですが・・・
あああ・・・大きな石をガンガン水中に投げ込んで水しぶきを上げ奇声を発してますよ!俺の後ろで。
あげくに、こぶし大の石を俺に向けて投げてきます。ケタケタ笑いながら。
さすがにこれは危ないのでやめるようにきつく言いつけ、やっと川遊び終了。

下半身びしょびしょのまま、「家に帰る」と言って颯爽と自転車で去っていきました。絶対怒られるな、お母ちゃんに。(笑)

ま、元気でよろしい。(しかし、中年男子はお前らほど元気ではないことを知れ(^^;)

080927_113444.JPG昨日、外灯の電球が切れてたので交換しようとカバー上部(高いところなので見えず)に手をかけたらぐにゃっとした手触り。
「ひゃぁ」と娘さんのような悲鳴をあげ、手にしたカバーを見ると真っ白い雨蛙が・・・。

白いカバーの上にずっといたので、保護色で白くなったんだな。
アルビノ蛙ならそれなりのニュース性もあるけどなあ。(^^;

でも、ここまで白くなってるのも珍しかったので、次男坊を呼んでしばし観察。
「てめぇ、じろじろ見るなよ」と文句を言うよにぴょんぴょん跳ねて、どっかへ行ってしまいました。

いやあ、しかし、ほんとによく蛙を見る。
夏の間は、絶対玄関戸に2~3匹は張り付いてたからなあ。
ま、家の周りが田んぼだらけだから仕方あるまい。嫁さんも最近は慣れてきたようだ(^^;

料金の設定が難しいところ。(笑)

田んぼを貸しているところはないんだけど(田んぼって、そもそも農家以外に貸しちゃ駄目だし)、一応、参考までに畑を貸しているところの料金。

A.千葉県某所
 10坪 1,200円/月(1区画) 14,400円/年
 (トイレが付いてる区画は、共益費で +10,000円/年)

B.群馬県某所
 1区画/25平方メートル(5m×5m) 7.5坪 15,000円/年
 (但し、4~12月までの 8ヶ月)
 ※A と同じ計算すると、10坪 2,500円/月 30,000円/年相当か。高いな。
  でもここは、種代・用具貸し出し(板鍬・草刈鎌・三本鍬・収穫かごなどレンタル料込みだ。

C.広島市安佐北区某所
 一般区画 50平方メートル(約15坪) 39,000円/年
 ※A と同じ計算すると、10坪 2,170円/月 26,040円/年相当か。
 給水施設、管理棟(休憩・交流スペースや更衣室、調理スペース)、貸し農具、交流広場、駐車場など設備豊富(利用するのに追い銭がいるかどうかは不明)

まあ、10坪辺り、月額2,000~3,000円ってところか。

あと、やっぱ、都会の人を呼び寄せようとすると、畑や田んぼの横にもきれいな水洗トイレは必須じゃろうね。

設備を整備して、こんな金額で元を取るのはなかなか難しいよのお。

iTunes の Ver8 を落とす。
iTunes + QuickTime で、77.25MB・・・
INS64 家庭には厳しい数字じゃのお・・・(^^;
いったい、いつになったらこの辺りにもブロードバンドがやってくるのやら。(^^;

ちょうど 2年前の 2006年9月。
岩国市のWebページから、当時の市長だった井原氏にメールを出したところ、(忙しい本人が直接打ったとも思えんが)本人名で返信をいただいた。

僕が市長に出したメールは、
・多少の不便はあっても、やっぱり田舎は良い。
・しかし、未だに旧玖珂郡では 2号線沿線以外ではブロードバンド回線の整備が出来ていないのはいかがなものか?市議、役人の怠慢じゃないのか?
・今やインターネット網の整備は道路網の整備と同列の重要課題。
・市議や役人は未だに道路や箱物ばかり作りたがる土建屋気質の者ばかりじゃないのか?
というような失礼なものだったが(でも事実だけどね)、それに対しての答えは「新岩国市のビジネス機会等の拡大に高速通信網は重要。公共機関には全て光ファイバーが引かれているので(確かに、うちから 3百メートル下った小学校にも光ファイバーがきてる)、これを基幹にし、その枝を地元のケーブルTVの同軸回線で埋めて、数年内に岩国市全域をブロードバンド化する」というものだった。

で、それから一年数ヶ月経った今年の春、由宇のケーブルTV会社が「線を引いたら使ってくれます?」というアンケートを祖生全域に配布した。速攻回答したよ。「絶対使う!」と。(笑)

さてさて、それからいっこうに音沙汰がないんじゃが・・・(^^;

今の福田市長はちゃんとその辺り考えてるんかいなあ。若いのに、ちょっと古い政治家っぽい土建臭を感じるんだよね、彼や、その周辺の人間には。
さっさとブロードバンド網を構築して、そんな土建臭を一掃してくれ。

農林漁業体験学習ネット
http://www.nou-taiken.net/index.html
((社)全国農村青少年教育振興会が運営)

というのがあったので、山口県で農業体験受入先を検索してみると4件しかヒットしなかった。(^^;
うち2件は果樹園。
美祢郡美東町の2つが「農業」としか書いてないので、もしかしたら米もあるのかも。(ま、畑だけだろうなあ・・・)

実は、「気軽な農業体験」を事業にできないか考えている。
あまり具体的なことは考えていないけど、

・「学習」「教育」というふうに固いことは言いたくない。
・対象は「米づくり」にしたい。
・畑作り(野菜)のように、スペースを丸ごと提供するから、あとは勝手に作れは無理だろう。
・基本的には、契約者が一人(家族)で米作りをするのだが、それを「有償」でサポートする農家の人が必要だろう。
・有償サポートは、「草刈 350円」「肥料まき 500円(肥料代別)」みたいな価格設定で。
・農家の人のサポートの手段として、コミュニティサイトが必要だろう。(SNSとか)
・農家の人がフルにサポートした場合のコストを「保証金」にするか。
・「そろそろ草刈が必要。今週末に来ないとうちでやっちゃうよ」みたいなサポートを。「すんません。今週は行けなくて・・・」なら 350円が農家の人に。で、農家の人が実際に草を刈ったところを写真にとって SNS にアップ・・・とか。
・契約単位は?半反で4俵。4人家族が一年間食べれる量が採れるから、そのくらいにできればいいが、圃場整備して田んぼのサイズは大きくなっている。一枚単位で契約をしないと難しいか?
・最後に収穫した米をどう分配するか。出来た米を買ってもらうのでは契約者側にうまみがないだろう。玄米 4俵(半俵(30kg)8袋)はタダ。あとは半俵 5千円くらいで買ってもらうのはどうか?
・ポイントは、契約者も農家もどちらも損した気にならないこと。
・ただ、契約者側は「田舎で遊ぶ」という付加価値もあるのだから、純粋に「8万円かけたので、8万円分の米は絶対ほしい」と思われると厳しいな。
・この「付加価値」でどれだけ契約者が「差額」を落としてくれるかが肝。

とか、色々夢想はしているところ。
でも、まあ、これだけだと、事業としての儲けは全然ないな。

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朝、近所の日曜市にでかけ、そこで揚出豆腐と鰯の塩焼きと白菜の漬物を買ってきて、お茶代わり(笑)にビール。
まだ、朝の 8時前ですが・・・

テレビじゃ、仮面ライダーやってますよ・・・(笑)

うちの近所のおっさん、おばはんたちがやっている上祖生登山口ふれあい市は、他の農産物直売所とちょっと違って、惣菜が充実している。
地の野菜や、大島から運ばれてくる魚を使った色々な惣菜を、米や野菜と一緒に売っている。

この日も、朝早くから親父に電話で起こされ、「新米が売り切れそうなので、(半俵袋を)2袋くらい持ってきてくれ」と言われて、家の納屋から今年の新米を取り出し届けたのが運の尽き。
目の前に出来たての「肴」を見せ付けられたのでは・・・(^^;

おかげで、午前中にナフコまで買い物に行こうと思ってたのに、もう、飲んじゃったので駄目なんである。

ま、幸せだからいいか。:-)

080906_131850.JPGああ、腰が痛い・・・

土日に「籾すり」を手伝った。
つっても、日ごろ農業を手伝うことがほとんどないので、機械のこととかあんまり知らないから、もっぱら玄米のつまった 30kg の袋の封をして(紐の結び方にちょっとコツがいる。単純な片結びじゃ駄目よ。そのくらいは農家の長男なので出来る(笑))、それを7段くらいの高さに積み上げていく単純作業役だ。
籾すり機の調整とかは親父がやる。

つーか、ほんとに便利になったよなあ。最近の農業は。
昔は、籾すりといったら大ごとで、一家総出の作業だった。近所の親戚とかも手伝いに来てな。
籾すり機も巨大で、値段も高いから共同購入してるんだけど、これに車輪を履かせて自分の家に運ぶのが大変。昔は舗装してない道も多かったからなあ。
ま、その頃の僕はまだチビ助で、運ぶのを手伝うと言いながら、実は親父が引いていく籾すり機にぶら下がって遊んでたりしたものだ。

で、一日かけて籾すり。
親父が勢いよく始動ハンドルを回して発動機をかけ、籾すり機とベルトでつなぐと籾すりのスタート。
昔は、乾燥機から手作業で籾を一斗缶につめて籾すり機まで運び、籾すりされて出てきた玄米も筵の上にたまっていくやつをオイル缶を切って作ったショベルでいちいちすくい取っては麻袋につめたものだ。皆手作業。

これが今では、乾燥機から籾すり機に籾はパイプを通って送られ、籾すり機から出てきた玄米も、秤の上に置かれた袋にたまっていく。袋が規定の重さになったらアラームが鳴って教えてくれる。
俺はその袋を秤から下ろし、新しい袋に付け替える。
で、また新しい袋に米がたまっていく間に、袋の封をして積み上げていくのである。

一人でも出来るよ。昔、親戚まで総出でやってた作業が。

しかも、毎年のように、1時間あたりで処理できる袋数が増えていく。
ほんとに、昔半日かけてすってた量が2時間弱くらいで出来てしまう。科学の進歩(?)とは大変なものだな。(笑)

でも、最後の袋を積み上げるところは人力である。
腰が痛い。そして、腕まで痛くなってきた。(^^;
日ごろ、マウスより重いものを動かすことないからなあ。
とほほ・・・(^^;

080831_195544.JPG単なるでっかいクサガメだったという話なんですけど。(^^;

この間の夜、用があって庭にでると、車の前輪の後ろに真っ黒い石が。
「こんなところにこんなに大きな石を置いて。次男坊の仕業か?とっちめないと・・・」とか思いつつ、その石を足で横にすっと動かしたわけです。
すると、石にしては妙に軽い感触。
「んん???」
と思って手に取ると・・・亀ですよ。
俺が覗き込むと、更にぎゅっと奥に首を引っ込めます。両サイドには、するどい爪の足が折りたたまれてます。

「クサガメだ・・・でか・・・」

うちは田舎なので、時々イシガメやクサガメを見るんですが、それよりひとまわりかふたまわり大きい感じ。30cm以上は甲羅があります。

で、そのまま抱えて家の中に持って入り、息子たちに見せびらかして、でも、あまりの亀臭さに家の前の用水に逃がしてやったんですが・・・

翌日、新聞を読んだ嫁が、岩国地区に外来種のカミツキガメが繁殖してて危険という記事を発見。
そういえばあの亀、クサガメにしてはえらく色が黒かった、大きさも普通のクサガメよりでかかった気がするし、そもそも、クサガメなんか臆病者だから人んちの庭になんか普通出没せんぞって大騒ぎに。

とりあえず駐在さんに連絡。
僕は仕事に出てたんですが、昼間に駐在さんが危険な外来種の写真が載ってる本を持って訪ねてきてくれたそうです。

「これがカミツキガメなんじゃけどね。(茶色くて甲羅が岩みたいな亀を指差す)」
「・・・全然違います。」
チャンチャン

結局、やっぱりただの「大きなクサガメ」だったようで・・・
人騒がせな夫婦ですまん。(^^;

sumou01.jpg僕の住んでいる祖生という村に、冷泉屋敷跡という遺跡があります。
室町時代に大内氏に仕えていた冷泉隆豊の館跡です。
「三年寝太郎」の昔話で有名な平賀清恒も一時この冷泉屋敷に身を寄せていました。(姉が冷泉隆豊の嫁さんだったのです)

冷泉隆豊は、陶晴賢の反乱において大内義隆の介錯を努め、その後は陶軍の中に突撃して討ち死にしたというなかなかの武将なのです。
そういう人物が治めていた土地だというのは誇りですな。

といっても、冷泉屋敷の痕跡は石垣くらいしか残ってなくて、僕もいったいどのあたりがどう冷泉屋敷跡なのか正確にはわからないのですが(笑)

その冷泉屋敷跡に建つ祠の前で、毎年子供たちによる奉納相撲が行なわれます。
今年は 8月24日の日曜日にありました。
僕が子供の頃にはなかったけどなあ。いつから始まったんだろう。

ま、地域の大切な行事ということで、隣町の少年野球チームに所属しているうちの長男坊も、練習を早めに切り上げて参加しました。
次男坊は、今年初めての参加です。

しかし、子供たちは相撲が好きだね。
一通り取り組みをしたあとも、もう一回やりたい、もう一回やりたいと大騒ぎです。
今年は小学校時代の僕の同級生O君が行司を務めていたのだが、いずれは僕のとこにもまわってくるのかねえ。いやだなあ。(笑)

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