笑いには共通認識が必要で、例えば俺はオヤジギャグや死語を連発することがあるが、昔からの友人や、すごく親しくしている人であれば、それが「本来使っちゃいけないオヤジギャグや死語をさらっと使うところの面白さ」を狙ったものだとわかってくれるが、それは、その人たちに「こいつはオヤジギャグがどういうものかを理解しているヤツ」とか「こいつは何が死語なのかわかってるヤツ」という認識があってこそのことだ。
そういう認識がないと、例えば俺は今でもカップルをアベックというが、真面目な顔で「今時アベックなんて言いませんよ」と俺に注意したりする。
わかってんだよ、そんなことは!と、イラっとくる。
だいたい、こういうヤツは自分自身のレベルが低いヤツなのだ。
つまり、「気を張ってないと時代についていけないヤツ」なのだな。
だから、相手が「わざと死語を使っている」という状況に考えが及ばないのだ。自分が間違って死語を使ってしまう可能性があるから。だから他人も間違って使ってるんだと思ってしまうのである。
例えば、今時マジで「あの子、ナウいねえ」なんて言うヤツなんかおるわけないやろ。
「いや、なんか、あんたは言いそう」とか言う?それが駄目だっつうの。そんなの言い訳だよ。「ナウは、既に100%死語として認知されているはず」というのが、ちゃんと時代に乗れている人間の認識だ。
「この人はだせえから、マジでナウとか使ってるかも」って考えること自体が、もう、こいつが時代に取り残されている証拠なんである。
だから俺は、「こいつと楽しい話が出来るかな?」という判断にするために、時々「お、これナウいね」とか言って相手の反応を見る。
「でしょ?ナウいっしょ」と普通に反応したり、ニヤっと笑うヤツは一緒に話の出来るレベルにいるなと判断するけど、人を馬鹿にしたような笑いを浮かべたり、「今時ナウなんて使いませんよ」と真面目に説明し始めるヤツは、「いかん。こいつは馬鹿だ。ストレートな会話しかできん」と判断する。
そういう気遣いなく話が出来る親しい人たちのことは、本当に大切にせんといかんと思うよ。
電気ウナギ的○○
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電気ウナギ的○○