そういえば、先週まで広島市現代美術館で「広島ノ顔」という荒木経惟の写真展をやってたんだよねぇ。
俺も、ひと月ほど前に、仕事中にちょっとのぞきに行ったんだが、全ての写真を見るのに3時間くらいかかっちゃって(^^;、その日は全然仕事にならなかったよ。なはは。(^^;
写真を見るのは、本当にエネルギーが必要なのだ。
写真を鑑賞するってことは、作者が作品に込めた意味を読み解くことだから、知力・体力を使ってしまう。推理小説を読むのに似ている。
どこに焦点があってるのか?ライトはどう当たっているか?なぜ、この表情を切り出したのか?このポーズの意味は?・・・と、ポートレートでさえ、いや、スタジオで撮ってるポートレートだからこそ、写す方も写される方もしっかりと自分の思いを込めてくるから、漏れなくそれを読み解こうと緊張してしまう。
本当はね、一人で見に行くより、複数の人間で見に行って、その場であれこれ「推理を披露し合う」方が新たな発見もあって楽しいんだけど、中年男子には平日の昼に一緒に美術館に行ける友達もいないしなあ。(^^;
で、一枚一枚の写真を一人で推理しようとすると、すげえ時間がかかってしまうんだよな。(^^; 足が痛くなったよ。3時間以上立ちっぱなしで写真見てると。
実は、アラーキーという存在は好きなのだが、写真はあまり好きではない。
彼の写真は怖い・・・という気持ちすらある。
なので、「アラーキー語録 人間、泣かなくちゃ。」は持ってるのに、アラーキーの写真集は持ってない。(笑)
実際、アラーキーの写真が「被写体に対する優しさに溢れている」と世間で評価されていると知った時にはびっくりした。うへぇ~マジ?・・・と。
確かに、アラーキーは被写体のきれいな部分もきたない部分も、その全ての存在を許すというか、認めているというか、愛おしく思っているというか、それは写真から感じられるが、あの被写体の全てをさらけ出そうとするあからさまな作風は、優しさなのか?
アラーキーの(悪い意味ではない)ガキっぽい好奇心がそうさせているだけじゃないのかって気がする。
で、そんな写真を見ると、そこに生々しい肉体がこっちを見て横たわっているような、そんな恐怖を俺は感じてしまうのだなあ、彼のポートレートに。
ま、多分、高校生の頃に、「オナニーに使えないヌード写真」があるということを知った衝撃がトラウマになっているのかもしれないが。(笑)
それが、アラーキーの撮ったヌード写真だった。「こんな裸の写真みてチンコ立たないの初めてだわ・・・」と。(^^;
「写真時代」に載ってたストリッパーの写真だったかなあ・・・妙に生々しい白い肌だけ今も記憶に残ってる。
ありゃ、そんなことを思い出してたら疲れてきたよ。(笑)
写真展の感想は、また今度。(^^;;;
電気ウナギ的○○
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