子供たちの名前には、ちゃんと意味・・・つうか、親の「思い」を表現したいと思ってた。
だから、反対に字画なんかは一切気にしなかった。文字ひとつひとつに意味があるのに、字画を気にしてそれを変えるのは絶対いやだったのだ。俺と嫁のどっちの親族にもそういうのを気にする人がいなかったので良かった。:-)
だから、息子たちの名前は俺の思い、哲学そのものである。
「人のため、社会のためになろうと思えば、人より賢い人間にならなきゃ駄目」「空を舞う飛行機のように、思うまま自由自在に生きていく力が大切」という俺の思いを名に込めた。
要は、「世の中上手く渉っていく賢さを持て」ってことだ。そういう生命力を「狡い」と否定する人もいるが、大間違いである。
「狡賢い」と「賢い」は全然別物なのだ。
人が100%の力を出さないと突破出来ないことを、80%の力で突破する賢さを持てということなのだ。不正を働かず、正々堂々と80%の力で事を成し遂げる賢さをだ。
人間、「馬鹿正直」にならなくても「正直」であればいいのだ。
他人が汗だくになってやってることを、汗もかかず成し遂げることを恥じと思うな。それは「賢さ」なのだ。そして、余った力を他人のために使えばいい。それが大切なのだ。
いや、もちろん、スポーツとか、勉強とか、そういう「挑戦」は100%の力を出さないといけないよ。一応、これは補足しとかないと「手を抜くこと」と一緒にされちゃたまらんからね。100%の力で「自分の限界に挑戦すること」はもちろん尊いことだ。
ま、つまり、そういう思いを二人の息子には託しているのである。
いや、まあ、息子たちがその通りに育っているかとか、そういう話は別の問題で。(^^;
電気ウナギ的○○
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電気ウナギ的○○