昨日、祖生公民館で『若い男女(みんな)の人権意識』という教育講演会があったんだが、公民館から「子連の副会長なので、講演会の頭で『岩国市民憲章』の前唱者をしてほしい」との依頼があった。
まあ、役割なのなら仕方無いので了承。人前で文章読む程度のことには抵抗感ないしね。俺の声は親父譲りのダミ声なので、聞き取りにくかったら申し訳ないなって思ったくらいで。(笑)
しかし、市民憲章なんか制定されてたのね。
なんか、識者の人に話を聞くと、(平成大合併の後処理的意味合いもあるのか)今、市民憲章制定が全国的にブームなんだそうだ。
(岩国市の人ではないのだが)「今は役所で会議の前などに必ず市民憲章の唱和をしてますけど、3年もすればしなくなるんじゃないですかねえ」とのこと。ま、流行ものというのはそういうものだ。(^^;
で、小学校の保護者仲間とその話しをしてたら、「周東町民憲章ってのもあったよねえ。私らが学校卒業した後くらいに制定されたんじゃなかったかなあ」という話があって、「え?俺知らね」とか言ってたんだけど、昭和62年に制定されてたんだね。
その頃にはもう俺は広島の人だったし、それから20年近く広島に住んでいたので、全然知らんかったわあ。(^^;
で、役場では、会議の前とかに唱和してたって。ふーん。そうなのね。
ま、そういうことで、俺が皆の前に立ち「錦帯橋に象徴される美しいまち岩国」から始まる前文を読み、その後、まず俺が前段、それに応えて全員で後段を・・・という形で無事唱和はおこなわれたのでありました。
俺「大切にしたいもの」
全員「それは みんなの夢 みんなの命」
という感じね(笑)
ロックコンサートのコール&レスポンスみたいだな(笑)
つーことで、全文は岩国市のホームページに掲載されているので、岩国市民の方はどうぞ。:-)
http://www.city.iwakuni.yamaguchi.jp/www/contents/1293165493168/index.html
岩国市民憲章を唱和されたとのこと、何はともあれ、大変良い経験をされたと思います。
私はここ20年近く全国の市民憲章の制定状況や実践活動を調べてきましたが、正直なところ、一部の熱心な都市を除き、その存在や意義が多くの市民に十分認識されているとは言い難い都市が少なくありません。
しかし、21世紀の日本にとって市民憲章は言葉では言い表せないほど大きな意義を持っています。
特に重要な点が3つあります。
第一は、「市民憲章は日本らしさを再認識させてくれる」ことです。
国際化が急速に進む中で、我々日本人は、「まちづくり」や「コミュニティの再生」においても、「日本人に似つかわしい作法」をしっかり自覚する必要があります。
市民憲章は、形式も内容も、日本の古い伝統を強く意識したものなので、関われば関わるほど「日本らしさとは何か」がよく分かってきます。
第二は、「市民憲章は法律の限界を克服してくれる」ことです。
現在の日本では、様々な問題を「法律」によって解決しようという風潮が異様に強くなっていますが、少なくとも「性悪説」に基づく「法律」によって世の中が明るく元気になることは絶対にあり得ません。
市民憲章は「性善説」に基づいた「誓い」なので、強制や罰則とは異なる発想で、確実に「まち」を明るく元気にしていきます。
第三は、「市民憲章は創造力を喚起してくれる」ことです。
高度情報社会というのは身の回りに文字情報や画像情報が溢れかえっている社会ですから、われわれは「目から入ってくる大量の情報」によって創造力が掻き立てられることは滅多にありません。
市民憲章を「声に出して唱える」ことにより、われわれの頭の中には「様々な良いアイデア」が浮かんできます。
今後も、息長く、素晴らしい岩国市民憲章の普及活動に関わっていかれることを切にお祈りしております。
なるほど。
おっしゃってること、わかる気がします。
市民憲章の制定が、(法律化できない)「人としてのありよう」を提示している気がします。つまり、「日本人に似つかわしい作法」の自覚という部分ともつながってくるのでしょう。
法で規制されてないことは何でもやっていい・・・という論理(このブログでも、強引な営業をする某社の営業マンがつまらないことをコメントしたりしてますが)に疑問を持つきっかけになる気もしますね。
ありがとうございました。