さっき、高森みどり中の文化祭の話を書いてたら、高校時代のことを思い出して懐かしくてたまらなくなった。
俺らが通っていた頃の高森高校は、文化祭は「1年生は合唱コンクール」「2,3年生は(食べ物屋以外の)催し物」ってなってた。
だから、2年生になった時、俺は映画を撮ることにした。
ホントは 8mm フィルムで撮りたかったんだけど、うちの 8mm カメラは従兄弟のよっちゃんが小学生の時に分解してしまってたんで(^^;、ビデオカメラで撮ることにした。
うちには当時珍しかったビデオカメラがあったんでね(多分、周東町内でも何軒も持ってなかったんじゃないかな。少なくとも、俺のクラスではうち以外には誰も持ってなかった)
ちなみにそんな感じだったので、うちの家を「篠田財閥」とか呼ぶ人がいるけど、昔からうちは貧乏だからね。普通の家が衣食住に使う金を、親父がわけわからんものに使うだけで。おかげで俺は小学生の時自転車やソフトボールのグローブなどを買ってもらえなかったし、小遣いくれないんで高校時代も私服はみすぼらしいもんだったよ。肩に高価なビデオカメラをかかえて(笑)
で、話を文化祭の映画づくりのことに戻すけど、そうして高2の時に撮ったのが「包淋(パウリン)間一髪」だ。俺は脚本と撮影と、監督をした。
中国からの転校生・包淋(パウリン。包茎の「包」と、淋病の「淋」を組み合わせただけだ(^^;)がクラスでいじめに合うが、生徒に酷い体罰をふるう化け物教師・ゾエゾエマンと得意の拳法で闘ううちに、クラスメイトたちと心を通わせていくという話だ(笑)
全く何のことかよくわからん作品だが、俺と主演のAND君がブルース・リー好きだったのと、当時は校内暴力などが話題だったので、その辺を組み合わせてこんな話に(^^;
この映画作りが殊の外楽しかったので、高3の時にも再び監督・脚本で「なぜか気分はディテクティブ(探偵)」という映画を撮った。
この時は、俺も準主役級で演技もした。ただ、演技に関しては俺が一番下手だったね(^^; もう二度と役者的なことはするもんか!と誓って今に至る。
2年生の時は撮影も俺がしたんだけど、この映画を撮る時は、暇そうにしてた友人のN村に「暇なら一緒に映画を撮ろう。カメラまわせよ」とビデオカメラを預けた。糞重いカメラを持って撮影するのは大変だから(^^;
いや、マジ重いんよ、カメラが。今の業務用のカメラよりでかいくらいで。あまりに重いので本体部を肩に乗せて、長いレンズの下についてるガングリップを握る仕組みだった。まるで対戦車砲だよ(^^;しかも、そのカメラとは別に、今どきのビデオデッキを 2台重ねたくらいの大きさの本体をベルトで肩から下げて撮影するんだからな(^^;)
この時、カメラを押し付けたN村が、後にプロになって「おっぱいバレー」などを撮った西村博光君だ。
プロの映画カメラマンになってるんだから立派なもんだ。俺なんかきっちり安定路線のサラリーマン人生を選んだというのに(いや、今はサラリーマンじゃないけど)
この時は、アフレコが上手くいかなくてヒロイン役の子が泣きだしたのをみんなで慰めたり、文化祭なんかしらねえよって立ち位置の悪友たちが上映会場の準備に協力してくれたり、色々青春だったわあ(笑)
あ、ちなみに映画のストーリーは「誘拐された少女の捜索と、なぜ誘拐されたのか、その謎を調査する私立探偵たちの物語」というありふれたものです(^^;
授業中に内職して脚本書きました(笑)
主演は去年まで高森高校のPTA会長をしてたKタ君です(笑)
いやあ、この頃のビデオはデジタル編集じゃないので、シーンの切り替わるところには必ずノイズが入っちゃうし、だからパパパパっと短いシーンを切り替えるなんてことも出来なくて、色々制限があったんだけど、でもひとつの作品を作り上げていくのは楽しかったなあ。
今と同じビデオ撮影機材や編集環境(PC の編集ソフトで十分)があったら、一年中なんか作品撮ってただろうねえ。
そこのところだけは、ホントに今の若いヤツらが羨ましいわ。
いや、他には一切若者を羨ましく思うことはないんだけど。
俺、今でも親指の位置まで勃起するし(笑)
電気ウナギ的○○
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電気ウナギ的○○