4/29に護国神社であった「山口県全戦没者大慰霊祭」の帰りに、防府市の「玉祖神社(たまのおやじんじゃ)」を参拝。
玉祖神社は第12代天皇・景行天皇(けいこうてんのう)が熊襲征伐のときに立ち寄ったという言い伝えがあり、それが事実なら 2千年の歴史がある。
ただ、景行天皇はヤマトタケル(日本武尊)の父と言われる人物で、実在したかどうかは定かではない。
ちなみに、景行天皇は日本書紀、古事記によれば、
「即位12年8月、熊襲(現在の南九州に居住したとされる)が背いたので征伐すべく天皇自ら西下。同年9月、周防国の娑麼(さば、山口県防府市)に着くと神夏磯媛という女酋が投降してきた。神夏磯媛は鼻垂、耳垂、麻剥、土折猪折という賊に抵抗の意思があるので征伐するよう上奏した。そこでまず麻剥に赤い服や褌、様々な珍しいものを与え、他の三人も呼びよせたところをまとめて誅殺した。」(Wikipedia)
・・・と、防府でも地元部族の征伐を行っているようだ。しかも酋長を騙し討ちで。防府の皆さん、天皇が寄った神社ってありがたがってる場合じゃないぞ(笑)
ところで、今、NHKの大河ドラマ「光る君へ」でファーストサマーウイカが清少納言を演っているが、その清少納言が幼少期、父に従って防府に住んでいたのは知られた話だ。
Wikipedia には「天延2年(974年)、父・元輔の周防守赴任に際し同行、4年の歳月を今の山口県防府市にて過ごす。」とあるように、10歳前後の 4年間を防府で過ごしたようである。もっとも、「都会最高!」思考の清少納言自身は田舎での暮らしがいやだったようだが(^^;。あ、これは余談(笑)
話を戻すと、玉祖神社は周防の国の一宮(いちのみや)である。山口県は周防と長門の二国に分かれるが、その周防の国で最も社格の高いとされる神社が玉祖神社だ。
そのため、多分、防府にいたときの清少納言もここを訪れているんじゃないかと思うんだけどなあ。
そんなに大きくもなく、派手な社が建っているわけでもない、どこにでもあるような神社だが、そう考えるとなんだかワクワクするね(笑)
「ああ、早く京に帰りたい」と思いながら、幼い清少納言が境内を歩く姿を想像するとなんだか面白い。ファーストサマーウイカがそのまま子供になったような姿しか浮かんでこないのが困ったもんだが(笑)