昼と夜とのはざま。逢魔刻。いわゆる黄昏どき。
もう夜なんだけど、山の向こうにはまだ青い空の色が微かに残っていて、そこに明るく光る星ひとつ。
最近楽しみなのは、土曜日の 17:30に平畑の山の上のピアノ教室(山の上とか言ったら怒られる(^^;)へ娘を送っていった帰り道。
車からは氷室岳の西側の山(名前知らね(^^;)の上の「夕焼けの残像」が正面に見える。もう祖生の村は「夜」になってるんだけど、山の向こうにはまだ「夕焼け」が残っているのが見える。
これがきれいなのよね。
祖生はどこにでもある「中途半端な田舎」で、都会からわざわざ見に来るようなきれいな自然も無いし、山奥の集落のような、まるで別世界に迷い込んだようなわくわくする隔離世界感のようなものもない。まあ、正直、田舎なのに田舎な魅力の無い村だと常々思ってたんだけど、こうしてみると、やっぱまだまだ良い景色も残されてるねえ。
まあ、こんな「闇」「夕焼け」「青い空」の三層の光の移り変わりをひとつの景色で楽しめるのはほんの一瞬で、それに派手さがあるわけでもないから、こんな景色が観光のネタになったりするわけではないけど、別にそんな風に「金」にならなくても、生活の中でふとこんな景色が楽しめるのは(日頃不便な生活をしている俺たちへの(^^;)ご褒美なんだろうよ。
多分、見過ごしているこういう風景っていっぱいあるんじゃろうねえ。
そういえば、岩国の旧市街から祖生に引っ越してきた女性が、登山口から俺の家の前まで道のすぐ側がずっと田んぼなんだけど、秋、道に沿って風が吹き抜けていく時、田んぼの稲穂がその風の流れに合わせてさーっと揺れるのを見ていると飽きない・・・とか言ってて、「俺、田んぼの稲穂をそんな風に『景色』として見たこと無いなあ」と思ったのを思い出したわ。
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