俺は学校の先生とあまり親しくした記憶がない。
あ、今は保護者として、子供たちの先生とは仲良くしてますよ(笑)
自身の学生時代の話。
いや、俺は全然グレたことはないので、先生に反抗していたというわけではない。先生と触れ合うことを避けていた感じかなあ。
昔から「左翼的」なご都合主義の二枚舌(ソ連や中国の核兵器は良い核兵器的発言ね)が大嫌いだったので、高一の時に「典型的日教組教師」だった担任の先生をホームルームの時間に論破して泣かせた(中年のおっさんやけど)のが唯一の俺の「教師への反抗」だ。
あの頃の高校の先生からはなんか「職業的」な匂いをプンプン感じて、人対人として付き合うことにすごく違和感を覚えてたんだよなあ。なので、高校時代の先生の名前とかほとんど覚えてない(^^;
小学校の時の 5,6年生の時の担任の先生も日教組の活動に熱心だった記憶があるが、人間として「このおっさんは駄目だ」と子供なりに蔑んでいたので、これまた名前も覚えていない。「ツネなんとか」だったのはわかるんだけど・・・(^^;
唯一、学校の先生と心と心が触れ合った感覚を持っているのは中学時代だ。
高森高校時代も(先生との関係は別として)3年間無茶苦茶楽しくて、今でもあの頃に戻りたいなあと思うけど、更に楽しかったのが中学時代だ。
高校生の時には、俺、もう世の中をなめてて、「多分、俺、大人になっても適当に楽しくやりながら生きていけるな」ってことをほぼ確信していたので、ほとんど悩みとかもなかったんだけど(笑)、中学時代は人並みに色々悩みもあったし、辛いこともあったし、反省することもあったし、そんな時に、常に先生が側にいて、相談に乗ってくれたり、叱咤してくれたり、そんな記憶が今でもしっかり残ってて、恩師と呼べる人は中学時代の先生だなあ・・・と思っている。
周東中学一、二年の時の担任のH中先生にも大変ご迷惑をおかけしたし、熱い指導に感謝もしているのだけど、やはり三年の時の担任のN田先生が俺にとっては一番の恩師である。
色々期待してもらったのに、裏切るようなことばかりして、それでも見捨てず相手をしてもらって、まあ、あれですね、俺がグレもせず(悪いことはいっぱいしたけど(^^;)ずっと「紅顔の美少年」として過ごせ・・・あ、いや、「お調子者」として楽しく過ごせたのはN田先生のおかげですわ、ほんと。
が、もう 10年くらいご無沙汰をしています。
最後にお会いしたのは、俺がまだ幼かったうちの長男坊を連れてクラス会に行った時なので、もう 13~14年くらいになるのかなあ。
嫁さんの体調が悪くて、俺と長男坊だけ夏の帰省をして、しょうがないんで子連れでクラス会に参加したら、案の定、うちの馬鹿息子がぐずりだして、もう老齢にさしかかっていた先生に、高い高いとかしてもらって、未だに申し訳なかったって思いが消えてません。
そんな馬鹿息子も、今年大学受験だからねえ・・・時の流れは早いもんだ。
そんな風にご無沙汰をしていたN田先生に思わぬところでお会いした。
先々週 6/17(土)の話だが、「平成29年度 岩国地域子ども会育成者・集団指導者研修会」に参加した時のこと。
最初に「指導者及び育成者表彰」というのがあったんだけど、玖珂町から表彰されたのがそのN田先生であった。
表彰式が終わった後、すぐに先生にご挨拶を。
「ご無沙汰しております」「おー」。そして、俺(の腹)を見た先生の最初の一言。
「何を食ったらそんなに大きくなるんやぁ?」
10数年ぶりに会って、最初の一言がそれ?まあ、俺も、今人生最肥満状態なのは間違いないんだけど(笑)
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