基本的なことだが、「戦争があるから国同士が仲良くなれない」わけではない。「国同士が仲良くないから戦争が起きる」のだ。
戦争が無くなれば地球が一つになれるという考えは迷惑な幻想。どうしたら国同士の関係を改善出来るか?に頭を使うべき。どうやって、不仲の元になっている宗教観、貧富、生活環境(自然を含めて)などの差を埋めるか?
すぐ「戦争が悪い!」的な考えで思考停止していたら何にもならないよ。少なくとも、全地域に電気が行き渡り、好きなだけ暖が取れるようになることで、何%かの争い(戦争)は無くなる気がする。
温かいスープで腹が満たされば、さらに何%かの戦争が維持出来なくなるだろう。「死んだ方がマシ」という兵士のモチベーションは失われるわけだから。
宗教の問題・・・は、もっと難しいけど、物質的に満ち足りれば、信心は薄れる気はする。
だから、戦争反対を叫んでプラカードを振り回している暇があれば、どうしたら世界の地域間格差を出来るだけフラットなものにしていけるか?日本としてどう協力できるのか?といったことを考えることに時間を使うべき。
そしたら、「中国への援助金なんて全部中東、いや、中央アジアへ回せ」・・・とかさ、色々な考えが出てくるだろう。(笑)小沢一派と民主党盲信者が大騒ぎしそうだけど。
で、それをどうやって実現していこうかって、そういう世論を高めていく努力に時間と力を使ったほうがよっぽど良くないか?>プラカードおやじ、おばはんたち。
ああ、それと、暇持て余してそういう「似非平和活動」にうつつを抜かしている馬鹿大学生たち。
未来のことを考えろ!
気をつけなくてはいけないのは、人間の欲望には際限がないことだ。
アメリカが良い例。
クリスマスの日に七面鳥の丸焼きを食う財力を維持するために戦争を起こす。
最初は温かいストーブと一杯のスープで戦争を捨てた人たちも、次には全自動のエアコンと七面鳥の丸焼きのために戦争を起こすだろう。
そこは教育だと思う。
日本は昔、戦争に突き進んだ過去があるが、「武士は食わねど高楊枝」といった「やせ我慢の美学」や「清貧」の思想などは、突き詰めていけば無駄な争いを起こさないための哲学の域に達すると思う。
そういう教育が必要だ。>日本人自体に、人権屋や左派思想家のせいでそういう「美学」の教育が行われていないというのが一番の問題だが。
そういった思想は「個人の自由」の制限も発生する。「自分のしたいことを我慢しても他人(集団)のために」だ。
馬鹿で学生気分の抜けていない「人権家」はその思想に耐えられるのか?
耐えてもらわないとなあ。耐えられないのなら、そんなお前ら自身が「戦争の原因」だ。
と、クリスマスの日は色々考える。
最後に、「今起きている戦争を止める努力」は上の話とは全然別です。その努力は怠ってはなりませんね。
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