震災が発生した日。ちょうどその時間。
俺は某報道関係の会社の、まさに Web でニュースを発信しているその部署で、俺が作った Web ニュースページ自動更新システムをサーバにセットアップしていた。
そしたら社内の緊急放送で東日本地区に大きな地震が発生したというニュースが流れた。
すっかり阪神・淡路大震災のことも遠い過去のことのように感じていた俺は、「まあ、大きいつったて、コンビニで陳列棚が倒れて商品が散乱しましたとか、そんなレベルの話なんだろう」と思って特に気にすることなく作業を続けた。
その部署の中全体がそんなもんだった。
ところが、そのうちに作業している背後から「うわぁ・・・」とか「こりゃ凄い」とか驚きの声が聞こえ始めた。
振り返ってみると、皆の目が、所内に設置された大型のTVモニターに釘付けになっている。ちょうどセットアップも終わり、簡単なテストを行っている最中だった俺も、席を立ってTVを見れる位置に移動した。
画面には、津波で川を逆流してきた海水が、まだ車が走っている鉄橋をあっけなく飲み込むところが映し出されていた。
「え、何すか?これ。映画みたいっすね・・・」と、薄ら笑いを浮かべつつ、同行されていた元請けの人と話をしたのを覚えている。現実感の無い画だった。
この後、俺がセットアップしたニュースページ自動更新のシステムは、導入早々大量のニュースを捌くことになる。不謹慎な言い方だが、いきなり負荷テストが出来てしまった。
この後、東日本大震災のニュースだけを抜き出して一覧ページを作成するなどのカスタマイズも行い、俺もバタバタした日を送った。
すぐに東日本に飛んでいって何かを出来るわけでもないので、せめて金だけでも・・・と、直接日本赤十字社に20,000円、中国新聞社会事業団を通じて10,000円の義援金を入れ、その他にも小額の寄付をいくつかした。
俺のようなちゃらんぽらんな人間でも、さすがに何もしないで過ごすことは出来ない、そんな事件だった。
でも・・・
そんなことも、いつしか思い出になっていた。
東北はまだ、全然日常を取り戻せてないのに。
まだまだ、同じ日本人として行動しなくちゃいけない時間は続いている。
もう過去のことと知らん顔をするほど冷酷・ノータリンな人間にはなりきれない。「私、東北なんて全然関係ないしぃ」「何か、そういうの偽善だと思うしぃ」とか言える馬鹿なら、人間幸せなのかもしれないな。悪い意味で。死ね、そういうヤツ。
取りあえず、3月の繁忙期を乗り切り、4月になってお金が入ってきたら、また少しでも義援金を送ろう。
申しわけないけど、現地に行ってボランティアってわけにはいかない。
悪いけど、金で解決させてね。俺の大震災への関わり方はそれしかできない。
でも、何もしないヤツよりは100万倍マシだと思ってる。
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