百疋

初詣で寺や神社に参った時に、お布施(神社の場合もご祈祷のお礼でなければお布施でええんかいね?玉串料?)の表書きを「のし 百疋」とするのが、どうも祖生スタイルのようである。

他の地域ではどうなんかね?
「百疋(ひゃくひき)」でググッてみても、お金の単位の「疋」のことについての説明しか出てこないんだけど。
なので、もしかして祖生独特???と思ってるわけだが。

いつもは親父が全部やってたんであまり意識したことがなかったんだけど、今年、初めて親父抜きでお参りに行って、その辺を色々疑問に思ったという・・・

実際に袋に入れているのは、千円とか500円とかなんで、本来なら金千円とか書くんだろうけど・・・。でも、あまり表書きに「金◯◯円」とか書かんわな(^^;
ちなみに「疋」は昔の「お金の数え方の単位」だったようだ。「円」のような単位ではなく、「お金がこれだけの重さあるよ」みたいな。「お金が百疋分」と言えば「お金(金貨、銀貨)が一貫(3.75Kg)ある」ということのようだ。あるいは、古代日本では「疋=絹二反」のことだったようで、百疋となると「かなりの財産」みたいな感じかなあ。

なので、「百疋」と表書きに書くのは「(信仰の)気持ちは金額で表せることではない」ので、具体的な金額を書くのではなく「おおきな金額」という意味の「百疋」を書いておく・・・みたいな感じなんかね?

ちなみに、俺も勘違いしてたんだけど、間違えて「百足」って書いてる人、けっこういるなあ。
多分、「百疋」と書いてあるのを見て、「疋」は達筆に書いた「足」だと思ったってことだろうけど、正しくは「百疋」だそうです。
いやあ、俺も「ムカデって踏んづけたくらいじゃ死なないし、生命力が強いんで、それでめでたいものとして百足って表書きするんやろうなあ」と思ってたわ(^^;;; あぶねぇ〜(^^;

あと、封筒の上に紙で包んだ丸餅を置くんだけど、さらにその上に百円玉を置いてるのよね、みんな。
あれ、何の意味があるんじゃろ?
うちは餅しか用意していかなかったんで、車に戻って百円取ってこようかなと思ったんだけど、置いてない人も数名あったんで(皆、俺のしってるじいさん、ばあさんだったんで)結局、うちも置かなかった。意味わからんし。封筒の中に金入ってるのに、更に百円とか、仏様も強欲にもほどがあるやろ・・・と思ったし(笑)

いやあ、しかし、うちも親父、お袋がまだ元気なので、そういうしきたり的なことをあまり意識せず生きてきたけど、そろそろちゃんと覚えていかないとなあ。

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このページは、shinodaが2017年1月 2日 10:47に書いたブログ記事です。

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