映画「沖縄を変えた男」、悪くない

ガレッジセールのゴリが主演をした映画「沖縄を変えた男」を観た。

2016年制作、2017年公開の映画だ。

沖縄水産野球部を率い、甲子園で沖縄勢初の準優勝を成し遂げた栽弘義監督(甲子園通算 29勝)の実話に基づくフィクションである。

栽弘義という人が賛否両論あるように、この映画もクソみたいにけなす人と、まあ、面白かったと受け入れる人にきっちり分かれるだろう。俺は後者である。

映画は1980~1991年の11年間の出来事が 2年程度にぎゅっと縮められており、そのためディフォルメされた表現も多いようだが、栽監督というのは大概こういう人だったようだ。

女にだらしないのもそのとおりだし(実際、三度の結婚をくりかえされている)、鉄拳制裁一辺倒のスパルタ指導もそのとおり。

物語は甲子園優勝に異常なほどこだわる栽監督の、非情すぎる指導を軸に展開する。
甲子園出場監督(栽監督は前任校で6度、甲子園に出場している)を迎え、自分たちも甲子園に行けると喜ぶ部員たちに一切指導をせず、ひたすらグラウンド整備をさせる。グラウンドが出来上がったら元の部員を全員退部させ、自分が沖縄全土から集めてきた一年生だけで甲子園を目指す。

野球部をやめさせられた子たちが可哀想だと言う同僚の女教師に「牛はいくら育てても牛。馬にはなれない」と言い切る。

戦争で蹂躙され植え付けられた「自分たちは勝者にはなれない」という諦め。本土へのコンプレックス。島というムラ社会故の競争心の無さなど、沖縄人の卑屈な精神を生まれ変わらせるには、沖縄の学校が甲子園で優勝するしかない!・・・というのが栽監督の信念であり、それを実現するためにはどんな犠牲もいとわぬという非情な態度を貫く。

そうして、物語は地区大会に優勝し甲子園への切符を手にした栽監督が、浜辺でキャッチボールをして嬌声を上げる小さな兄弟の姿を見ながら涙を流し、嗚咽するシーンで終わる。

甲子園出場のために犠牲になった元部員たちや、楽しい野球をさせてやれなかった教え子たちへの贖罪なのか?結局甲子園では優勝することのできなかった(準優勝2回)悔しさなのか?涙のわけはわからない。

栽弘義という人への好悪や、指導内容の是非を映画の評価に持ち込めば、今の基準では「教師による体罰を肯定するひどい映画」と言われてしまうのだろうが、それはこの映画の見方を間違えている。そういう映画ではない。

栽監督の指導方法などどうでもいいのだ。監督の指導の中で体罰が行われていたという事実があるだけで、この映画が描こうとしたのはそんなことではない。ただ、琉球から沖縄という歴史の中で沖縄人の心の奥深くに澱んだ真っ黒いコンプレックスの解消には、甲子園優勝しかないと思い込んだ男の狂気の物語である。
観客は、その男の狂気を生んだ、悲しい沖縄の歴史に思いを馳せるのだ。

ゴリの演技はよかった。ライバル監督を演じた相方の川田の作り笑いも十分狂気を感じさせてよかった(笑)
部員を演じたゴリの後輩芸人たちが放つくだらないギャグも、男子高校生の馬鹿さ加減をよく表していてよかった。演技は下手だったけど(笑)

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このページは、shinodaが2021年2月24日 18:18に書いたブログ記事です。

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