「子ども」と「子供」

ありゃ、伊陸の清掃の話を書いたら、「子供」が全部「子ども」になってるな。
前回、最後に変換した時が「子ども」だったんだな。

俺は、「子供」「子ども」の表記には拘らない。
なので、俺の文章を読めば、「子ども」であったり「子供」であったりバラバラなのがわかるだろう。
別に文筆家でもないし、公的な文書でもないんだから、そんなことはどうでも良いと思っているのだ。
なので、同じように他人が「子ども」「子供」のどちらを使おうと気にはしない・・・というのが俺のスタンスである。

ただ、「まともな社会人」として、以下の二点については拘っている。

まず、公式文書や、それに準ずる文書(子供会関係とか)では、必ず「子供」を使うようにしている。なぜなら、「こどもの正しい表記は子供である」という歴然とした事実があるからだ。
学校でも、こどもの漢字表記は「子供」と教えているしな。「子供」でひとつの熟語なわけで、「子」と「供」を切り離して、「供」だけ「とも」とひらがな表記にすることは学問的にも間違いで気持ち悪いからな。

それと、「子ども」の表記を押しつける人間にはとことん抵抗する。相手が泣いて謝るか(そんなことはあり得ないが(笑))、汚い捨て台詞を吐いて逃げ出すか、苦し紛れに訳の分からない主張を始めて皆の失笑を買うまで許さない。

先に書いたように、俺は他人がプライベートな場面で「子ども」表記に拘っていても全然かまわないと思っているし、もちろん、何の文句も言わない。それは自由だ。
しかし、それを他人に押しつける行為は別だ。それは許せない。
なぜなら、それを強要する「まともな理由」が何一つないからだ。

「子供」という言葉に差別的な意味はまったくなく、一部の「敏感な(笑)」大人が「なんとなく差別のにおいがする」と勝手に感じているだけ・・・というのが本当の話。
そんないい加減な理由で他人の文章にケチをつけるのは、「プチ言論弾圧」ですよ。
狂ってるとしか思えない。

そういう「侵略」に対しては、抵抗闘争をするでしょ?そういうことだ。

ま、そういう侵略を抵抗出来ず受け入れてしまい、「子供の人権を考えない大人が、子供は大人の従者だからという意味で、こどもに『子供』という字を当てたのです」みたいな嘘話を信じている可哀想な人も居るけどな。「子ども」が正義だと洗脳されてる可哀想な人がな。
「子供」という表記の成り立ちに、そんな事実はまったくないのだよ!

ほんま、人権、人権と口にしていながら、「子ども表記の強要」という人権無視の暴挙に出るところが、人権屋のとっちゃん坊やや市民活動家のおばはんたちが根本的に信用ならんところなんだな。

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このページは、shinodaが2009年10月18日 19:00に書いたブログ記事です。

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