2022/4/27~6/19 まで、山口県立美術館で開催されていた「野田弘志-心理のリアリズム」展の話。
5/27に遺族会と高P連の用事で山口市に行ったのだが、途中で少し時間が出来たので、高P連の会議が開かれる教育会館の近くにある県立美術館でちょっと時間をつぶそうかと。
実際、野田弘志氏のこともあまり知らなかったし、いわゆる「写真と見紛うような精密な絵」というのにもあまり興味がないので、今から思えば野田氏に大変失礼だったのだが、「時間つぶし」以外の理由はなく観覧したのであった。
いや、ほら、YouTubeなんかでも、鉛筆で写真みたいな絵を描く過程を映してるようなのあるじゃん。出来上がった作品見ても「すごいなあ」とか「俺には書けんな」とは思うんだけど、感動はないよね。よく言われる「それって写真でよくね?」ってやつ(笑)
・・・が、すごかったです。野田画伯の作品の数々。単純に写真をトレースしたわけではなく、「絵だからこそ」のエッセンスがちゃんと入っている。
如実にそれを感じたのが「THE-1」などの裸婦画である。
まるで写真のように精密に描き込まれた裸婦画なのだが、観ていると、海綿体に血が流れ込むのを感じる。
これ、女子にはわからないと思うが、決して男というのは「女の裸の写真(絵)」を見たら必ず興奮する・・・というものではない。いわゆる「芸術的な裸の作品」にはほぼ身体は反応しない。
例えば「意識高い系」の女優とかが「女が見ても感動できるヌード写真」を発表したりするじゃん。その女優のファンは喜ぶかもしれんけど、たいがいの男はそんな「芸術、芸術した裸の写真」なんかには 1mmもチン、いや、肉棒、いや、ペ、ペ、そう股間のペンは動かないのである。
壁にかけられた野田画伯の作品も「そういう芸術的ヌード写真」のようなポーズの裸婦が描かれているだけである。まるで写真のような精密さで。
しかし、俺の股間のテスターの針はピクリと動いたのである。
つまり、まるで写真のようでありながら、写真では出せないエロスを野田画伯の絵は醸し出しているわけだ。
俺は、「精密な絵は写真を超えられない」派だったけど、考えを改めるしかない。写真を超えた「写真のよな絵」は存在するのである。
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