今年の 1月13日、随分前の話だが、広島市現代美術館の「コレクション展 2024-Ⅲ ハイライト+リレーションズ[ゲストアーティスト:西島大介]」を観た。
特別展「原田裕規:ホーム・ポート」を観たついでに・・・だったけど。(こちらの特別展については、このブログにも書いている)
で、感想だが・・・
なんも覚えてない・・・(^^;; つまり、ピンとくる作品がなんも無かったんだろうなあ。
パンフレットの表紙にもなっている小沢剛氏の「ベジタブル・ウェポン・スペシャル」は、「原爆ドームの前で野菜を持った女が立ってる写真」という如何にも現代アートという作品で、広島が舞台になっているのでわずかに記憶があるが、その時も「何が言いたいのか、何を表現したいのか、まったくわからん。ザ・現代アートだな・・・」と思っただけであった。

西島大介氏についてもあまり存じ上げず、氏が書いたキャラクターを観て、ああ、どっかで見たことある絵柄だなあ・・・と思っただけで心に刺さることはなく・・・。娘が好きな絵柄かなと思って、帰ってパンフレットの氏の絵を娘に見せてみたが「ふーん」という感じで爆死であった。
もちろん、俺に響かなかったからといって、それが作品の良し悪しの判断にはならない。
現代アートは「何を表しているか」を読み解く過程、そして読み解いたとき「なるほど」と納得できることに価値があり、その価値は個々の「観る人」の感性に委ねられるもので、俺にはなにひとつ読み解けるものがなかっただけの話だ。
一応、作品の横の説明も読むけど、それでもなんか納得できなかったものばかりだったということ。まさに「俺には刺さらなかった」だけの話である。
そして、誰一人刺さる人間がいなかった作品は「現代アート作品」とは呼べず、それは「オナニーのティッシュ」である。自分だけ気持ちよかったのね・・・という。それだけの話し。
だから反対に、どんな突飛な素材や造形のものでも、見ただけで「これ面白い」「これ好き」と感じられるものは現代アートではなく、伝統的な「美術作品」だと思うのよ。あ、これは余談。
コメントする