以前、現代アートの美術館の床にメガネを置いておいたら、勝手に芸術作品に間違われて人が集まって来た・・・という話がネットで話題になっていた。
先日、広島市現代美術館に行った帰りに、駐車場までの道をテクテク歩いていると、目の前に芸術作品が。
自販機の周りを囲むように黒いスライムのようなものが置かれている。
なんだ?これ。
なんかのアート?・・・とマジで思って、しばらくこれが何を表しているか考えた。
何かの守り神的な意味?護られているのは自販機と小屋?自販機と小屋は何を象徴している?守っているのではなく、この自販機と小屋を包囲しているってことか?なるほど。色が黒いのも、徐々に謎の物体が迫ってきている恐怖をより煽るためか。さしずめ、自販機はわけのわからない不安に恐怖する現代人ってところか。作品のタイトルは「自販機を襲う不安な黒」みたいな感じかな?
・・・などと考えつつ近づいてみると、これは下に敷いたシートの重石であった。
黒いナイロン袋に土が詰めてあって、下のシートが風などで飛ばないように置かれているだけであった(^^;
アートではなかった。
ま、確かに、ここは比治山公園であって、現代美術館の敷地外だからな(^^;
最初の話に戻ろう。
美術館に置かれたメガネがアートと間違われたという話は、「現在アートなんて、作者がどうでもいいものに適当にタイトルつけて思わせぶりに提示しているだけのもので、大した意味なんてないし、それをありがたがってるヤツらも、実際には作品の意味を理解出来てないんだぜ」という笑い話として流布されていた。
実はこれが間違いなのだ。
現代アートに(というか、アート全般に・・・だけど)意味をつけるのは作品を観ている観覧者側なのだ。
件のメガネも、美術館の来訪者に「お、これは。アートだね」と思われた時点でアートなのである。あとは、そのメガネにどういう意味があるか自分で考えればいいのである。
アート作品には、必ず意味がある。「いや、意味なんてねえよ」と作者が言ったとすれば、「なぜこの作品に意味などないと作者が言うのか?」という問から意味が出来てくる。
作者が「いや、そういうことを言いたかったわけではない」とか、別の観覧者が「そういう意味の作品じゃないでしょ?」なんて言ったところで、それは負け犬の遠吠え的に意味はない。観た人間が感じたことがアートの全てなのである。
つまり、「何、これ、変な形。作者は皆を楽しくさせたかったのね」なんて思えば、それはそれで正解なのだ。
できればそこから、「何故作者は皆を楽しくさせたいんだろう?楽しく思う人が増えれば、もっと世界は平和になれるってことかな」みたいに、更に作者の思いを(ハズレていても問題無し)推測していって欲しいけど。それが楽しいんでね。
というわけで、現代アートは実は簡単で面白いものだから、皆どんどん現代美術館に足を運んでみようぜ。難しいことは考えずにね。