2月の話だけど。
旧日本銀行広島支店でやっていた「ヒロシマ・オー 現在の広島」という展覧会を見た。
たまたま横を通りかかったからだけど。
「ヒロシマ・オー」という展覧会は、2006年から続く現代美術展だそうだ。
そして、今回の「現在の広島」のコンセプトは、『広島の芸術は、「原爆の落ちたヒロシマ」の歴史に重きをおいたものが多く、今の「広島」が蔑ろにされている。そこで、あえて「ヒロシマ」に囚われすぎることなく、「現在の広島」の課題、問題点を表現した作品を作ってみよう』・・・ということのようである。多分(^^;
そのコンセプトには賛同。
広島の芸術家は「ヒロシマを表現しないと」的な無言の圧力ってのはやっぱあって、それは単なる「足枷」でしかないだろう。
「ヒロシマ」を意識したい人はすれば良いし、中にはまったく「ヒロシマ」を拒絶した形で作品を作る広島の芸術家がいても良いし、というか、いないのが不自然だわ。
でも、年寄りの中には「広島の芸術家がヒロシマから目を反らすことこそ不自然」みたいな考えの人もいるんだろうなあ・・・と。芸術家として終わってると思うけど、そういうの(笑)
で、この展覧会だけど・・・
何か、結局、「ヒロシマ」から抜け切れてないよなあ・・・が正直な印象。
まあ、自由にやってるように見えても、結局、原爆による焼け野原のイメージがどこかにあるようなあ・・・とか、どの作品からも「ヒロシマ」を感じてしまった。
それは仕方ないのかねえ。いや、「現在の広島」を強く感じて、その向こうにルーツとして「ヒロシマ」が見える・・・みたいな感じならいいんだけど、そうじゃなかったなあ・・・
それでも良いんだけど、でも、せっかく「現在の広島」って名前の展覧会なのになあ・・・と。
あと、割とこぢんまりまとまった作品が多かったような。
米田章氏の「ヒロシマの正体」と長沢優希氏の「lunch time」は少し面白かったけど、これは!という作品には出会えなかった。
来年の「ヒロシマ・オー」に期待します。