俺思想の最近のブログ記事

俺は小学校(まあ、中学校でも一緒だけど)での「プログラミング教育」というものには反対の立場だ。

理由は「意味がないから」。
そんなことをする暇があれば、もっと他の勉強に時間を割いてほしい。
計算問題でもやらせたほうがよっぽど良いわ。

多分、この業界の中では反対している人の方が多いと思う。

この業界にいて、なおかつ賛成している人は、多分授業内容を誤解しているんだろう。何らかの言語を使ってぐりぐりコーディングをすると思っていて「それなら俺、家で子供に教えて、父さんすごいとか言われるから賛成」なんて言ってる人がいたが誤解です(笑)
将来スーパープログラマになれる「素養」を育てるような教育じゃないんやで(笑)

TVニュースで見たけど、GUI で「右に行く」とか「止まる」みたいな命令がブロックになってるのを組み合わせてロボットを動かすとか、そういうしょうもない内容やったで。

アホじゃないの?(笑)

文部科学省のサイトに、「小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ)」という文書が掲載されているが、「プログラミング教育在りき」で書かれた感満載で、なんか色々強引すぎて失笑しかおきない。

この中で、「これからの時代に求められる資質・能力とは」という章があり、

(1)情報を読み解く
(2)情報技術を手段として使いこなしながら、論理的・創造的に思考して課題を発見・解決し、新たな価値を創造する
(3)感性を働かせながら、よりよい社会や人生の在り方について考え、学んだことを生かそうとする

という 3つのものが上げられていたが、これがなんで「プログラミング教育」というもので身につくと思った?

てか、「情報処理能力」や「創造性」を育てる教育には賛成だが、それがなんで「プログラミング教育」と名付けられたんだ?プログラミングをするわけでもないのに。
いや、ブロックを組み合わせてのプログラミングというのももちろんプログラミングの一種なんだけど、それってこの教育の中のごく一部で、プログラミングを主体とした教育ではないだろう?

反対に俺は、高校 2年生くらいで、HTML5 + JavaScript あたりを使って「職業選択のための体験」「職業訓練的学習」という意味でプログラミング教育(本物のね)をするのはありだと思ってるで。

学校にそういうのができる先生がいなかったら、ぜひ私めが講師をしますのでお声がけください(笑)

あ、もちろん有償で :-P

話がずれたけど、小学校での「プログラミング教育」なんて、裏っ側に金の臭いしかせんのやけど。悪い役人、政治家、業者が結託してそう(^^;
ほんま、そういう無駄なことに時間を使うのなら、しっかり「読み書き計算」を教えてほしいわ。

ま、そもそも「プログラミング教育」という名前が内容と合ってないのが一番の問題なんだけどな(笑)
前回のエントリーで「酒を他人に無理強いするのは、お前の無能さの現れなんだからやめておけ」という話を書いた。
これには 1%の例外もない。酒を部下や後輩に無理強いするヤツは 100%無能である。常識も無いし、酒の力を借りなければビジネスもコミュニケーションもまともに成果をあげられないということを自白してるわけだからな。この無能め!これは、町の土建屋の社長でも、電通の部長でも一緒。全員無能。

あ、ちょっと話が横にそれるけど、「宴会を開く」ことは悪いことじゃないと思うよ。

例えばあるチームを立ち上げた時、短時間にメンバー間のコミュニケーションを深める場として「宴会」は有効だ。こういうのに参加したがらないヤツがいるけど、それは参加するべきだ。お前が参加しないことで、他の人はお前との少ないやり取りの中でお前という人間を理解していく苦労をすることになるわけだから。
会議と一緒だ。半強制的に参加させてもいい。ただし、酒を飲まない、飲めない人間への配慮はちゃんとするべき・・・ということである。

で、話を戻すが、そういう「自分自身の無能を晒すことになるんだから、無理強いはやめておけ」という「お前自身のために」的なことの他にもうひとつ。「相手を不幸にするから、無理強いはやめておけ」という理由がある。

流石に「肝臓に色々見つかりまして。アルコールは一滴も駄目って言われてるんです」とまで言えば酒をすすめる人間はほぼいないが、ここまで相手に言わせることはプライバシーの侵害である。
ここまで説明させなくても、相手が「医者に止められてまして」と言ったらそこで酒をすすめるのはやめろ。そこから更に「なんで?」と聞くのは、本当に卑しい人間だ。

それに、「医者に止められている」その理由が、アルコール中毒によるものかもしれない。
なかなか宴会の場で「実は私はアル中で」なんて言えない。
だからアル中患者はたいがい「ちょっと医者に止められてまして」とか「家族から止められてまして」くらいの表現で酒を断る。それを理解して、相手が「止められてまして」と言えば一切飲酒をすすめない・・・これがまともな大人の行動だ。

でも、そもそも今時他人に飲酒を強要しているヤツなんて、揃いも揃って馬鹿ばかりだから、「アルコール依存症」、いわゆるアル中への理解も乏しいんだろうな。

多分、肝臓の問題ではなく、アル中だから酒を止めていると聞いた馬鹿ジジィは、「なんだ、アル中か。肝臓でも壊しているのかと思った。だったら今日だけ、いや、一杯だけなら大丈夫だろう。乾杯のビールだけでも呑みなさい。それからまたキッチリやめればいい」となるのだ。

愚かすぎて泪が出てくる。

アル中は、アル中と診断されたら、あとは「一生、一滴の酒も飲まず生きていく」しかないのだ。「滴度な量の酒」も駄目。「一滴も飲まない」以外の選択肢はないのである。
それを知らない無知なジジィや上司が「一杯だけならいいだろう」と酒をすすめるのである。アル中患者に。
一滴でもアルコールを身体に入れたアル中患者は、ほぼ全てが「再び連続飲酒」の地獄に戻っていく。

アル中を「毎日酒を呑む、酒好きな人」程度に認識している馬鹿が多すぎる。
アル中患者とは、

    • 一度飲み始めたら、気を失うなど、限界まで飲み続ける(連続飲酒)。
    • クスリや煙草の依存症は身体の病気だが、アル中は心の病気なので一生完治しない。死ぬまで「飲酒衝動」と戦い続けないといけない。
    • 酒を抑制する薬やカウンセリングに頼らないと、一度連続飲酒が始まったら本人の意思ではどうにもならない。

というものだ。「まあ、一杯くらいいいだろう」とお前が飲ませた一杯のビールのせいで、その夜から、そのアル中患者は再び毎晩失禁、時には脱糞して気を失うまで酒を飲み続ける。地獄の日々が再開するのだ。

「いや、だから、それって本人の意思次第だろ?意思が弱いから連続飲酒してしまうんだろ?」と言ったお前、本当に無知を恥じろ。アル中は心の病だと言っただろう。厳密に言えば脳の分泌物異常とかなんだろうが、「うつ病」などと同じ「心の病」なのである。ニコ中やヤク中とは根本的に「依存原因」が違うのである。

20171117_sake.JPG馬鹿なお前だって、「うつ病」が自分の意思で治せるものじゃないってことくらい知っているだろう?「うつ病」は治ったように見えても、それは「小康状態」にあるだけで、いつでも再発する危険がある。アル中も同じなのだ。意思が強かろうが関係ないのである。もう一度言うが、「意思の力で完治する」ニコ中やヤク中とは違うのだ。

煙草や覚醒剤がやめられない人間に「お前は意思が弱い」というのは正解だ。意思が弱い以外に「やめられない」理由はないからだ。
例えば煙草を止めた人間に、一本だけ煙草を吸わせても再びすぐに喫煙習慣が復活することはない。身体の問題なので、「再び依存症になる量」というのがあるのだ。
アル中は違う。例えば連続したストレスがなくても、何気ないたった一言で再び「うつ病」が再発するように、アル中は「たった一杯」、いや、本当に「楽しそうに呑んでる同僚の姿と酒の匂い」だけでも再発してしまうものなのだ。

そんな病気を、アル中患者は抗酒剤を飲んだり断酒会に参加したりして、必死で抑えているのだ。その努力を無にするのが「たった一杯の酒」なのである。

ここまで説明しても、まだ「でも一杯くらいなら」と思っている馬鹿なジジィや駄目部長がいるのはわかる。

「アル中はうつ病と同じ心の病」「うつ病を自分でコントロールできないように、アル中患者も自分で飲酒衝動を抑制することはできない(病気であって、自分の「意思の強さ」は関係ない)」「アル中患者に適正な飲酒量というものは無い」という説明で理解できないってことは、お前は「うつ病」などの心の病に対してもまったく無理解で、「あいつの心が弱いせいだ」とか頓珍漢な差別ばかりしてるんだろうなあ。

一回、アル中になってみたら?
これから年末年始にかけて酒を呑む機会は増えるだろう。
今でもそれなりの大きな企業であれば、昔ながらの部署総出での忘年会なども開かれているだろうし、近頃の若者の大多数である「上司と酒を呑むのは遠慮しときます」という若手社員も半強制的に参加させられたりしてそうだな。

そういう時、もう随分昔から言われている「酒が飲めない人間に無理やり酒をすすめるな」という常識を未だに守れない駄目上司も多い。
特に、酒の席でいやがる部下・後輩に無理やり酒を飲ませることでしか優越感を得られないような無能な年寄りにこういう輩は多い。

20171119_sake.JPGそう。はっきり言って、他人に酒をすすめるヤツは無能な馬鹿ばかりです。
まともなインテリジェンスの持ち主は、どれだけ自身が酒好きであっても、決して他人に飲酒を無理強いなどしない。
「酒くらい飲めないと」とか「上司がすすめる酒はもらっとけ」とか、そんなのはもう時代遅れだし、本当のビジネスマンは「酒などなくても大きな商談をまとめる」ものである。「接待」が必要な時点で己の無能さを自覚するべきだし、「接待」を期待している側の人間は、その自分の卑しい根性を恥ずべきである。「接待」はどの方向から見ても「悪」でしかない。

「酒を酌み交わしたら仲を深めることができる」というのは真実だ。ただし、これはお互いがのんべえ同士の場合に限る。酒が苦手であったり、理由があって酒が飲めない人間とは他にいくらでも仲を深める手段はある。
例えば俺も、自他共に認めるのんべえだけど、仕事がらみの中年男子とコーヒーとケーキで何時間も話し込み、それまで職場でも仕事関係の会話以外一切しなかったのに、趣味の会話などもするほどに仲良くなったこともある。
コミュニケーションに酒など不要なのだ。酒好き同士なら「呑みニケーション」をすればいいだけのこと。

だから「酒くらい飲めないと」などという世の理など存在しないのだ。

飲み屋で「あ、ボクはもう」と酒を断る部下に「もう一杯くらい付き合え」「このくらい男なら飲めないと駄目」みたいなことを言って飲酒を無理強いしている「たまたま運がよくて部長になっただけの無能サラリーマン」は反省をするべきだ。
このエントリーを見て、「お前は何もわかっちゃいない!」とか怒っている爺さんがいるとしたら、お前こそ何十年も生きてきて、何も学んでいない馬鹿だな・・・とお応えしよう。

酒は自分自身で楽しみましょう。
そう言えばちょっと前に、ネットで「都会と田舎はどっちが住みやすいか」みたいな話があって、ネット民は「世の中の人は田舎が好き」だと思ってて、その多数意見への(実際は田舎好きが多数派とは思わんが)アンチテーゼなのか、はたまたネット民は実社会でのコミュ障持ちが多いイメージなんで(だって、そう思うんだもの。すまんな(笑))、彼らが田舎で経験した疎外感(本人のコミュ障が一番の原因だと思うけど)なんかへの怒りなのか、田舎生活をボロクソに言うよね。

ちなみに俺は田舎に住んでるけど、住みやすさ、毎日の楽しさで言えば「断然都会の勝ち」だと思ってる。
田舎の方が都会よりすぐれてる点なんか少数だよ。

田舎は都会に比べると「厳しく」「楽しくない」場所だ。はっきり言って、田舎にネット民のような弱者が来ても生きていけません。近所のじいさんに陰口を言われたくらいですぐメンタルが壊れたり、手厚い行政サービスは受けられないから身の回りの公共設備(道路とか用水路とか)は自分たちで清掃等の共同作業を行う必要があるんだけど、そういう作業の時、知らないじいさん、ばあさんたちの群れに入っていくことの出来ないメンタルの弱い人とか、そういう人は田舎では生きていけんよ。
当たり前じゃない。弱いんだから、生物的に。

そういう弱い人間でも生きていける場所が東京や大阪といった大都会。
はっきり言って、馬鹿でも仕事は見つかるし、仕事がなくても新鮮な「生ゴミ」がどこでも手に入るから死にはしない。公園も多いから野宿もし易い。実際、田舎で食えない人間は皆東京に流れるでしょ?

別に自慢するわけじゃないけど、俺みたいに岩国に住んでフリーのプログラマをやりながら、嫁さんと子供 3人を養っていくためには、それなりの技術力と、それなりのコミュニケーション能力が必要。
はっきり言って、ネット上で「田舎の人間は云々」とか「自治会の集まりに強制的に参加させられて云々」とか言うてる「田舎で挫折したやつら」はそういう能力が無かった弱者なわけ。
だから東京や大阪(及びその近郊の大都市)に逃げて、そこから田舎を馬鹿にする発言をしてなんとかアイデンティティを保っている弱者なわけよ。
だって、俺も東京に知り合い一杯いるけど、田舎でもやっていける人はそもそも「田舎の人間は云々」みたいなことを言わんもん(笑)

20171111_Alfheim1.JPGあ、誤解してほしくないが、「都会より田舎が良い」と言うてるわけではないよ。
冒頭の方で書いたように、「どっちが良いかって言ったら、都会の方が断然良いに決まってんじゃん。便利だし」ということ。
そもそも、「都会 vs 田舎」という考え方がおかしい。都会の方が良いにきまっている。でも、何らかの理由(俺は広い家を建てたかったので、20数年ぶりに広島から岩国に帰った)で田舎に流れざるを得ない人がいるってだけの話。基本は「都会で自分の望むスタイルで生きていけるんなら都会を出る必要無し」ですよ。
で、そうした田舎に流れた人間の中で、「田舎でも仕事を見つけ、周りの人間とも(もちろん田舎だって人間付き合いは表面だけで、別に都会に較べて濃いわけでもなんでもないよ)上手くコミュニケーションをとれる」人間として優秀な者は田舎で暮らし、そこから更に落ちこぼれた人間が都会に帰って田舎の悪口を言うってだけの話。

と、長々話してきて、何が言いたかったのかと言うと、「田舎って、やっぱ俺みたいなたいして稼いでない者でもそこそこの広さの土地が手に入れられるから、こうして庭にアルフェイムを立てて、ストーブの位置調整とか休日に出来るんやで」ってこと(笑)

広島に住んでた時には出来んかった、こんな楽しいこと。最初はコーポで庭なんかなかったし、その後移った一軒家も庭狭かったし(^^;

もちろん都会でこういうことが出来る金持ちもおるじゃろうけど、とりあえず「田舎さいこー!」と言わせていただく(笑)
今日、一番勉強になったこと。

「にくづき」という部首の「月」は単漢字の「月」ではなく「肉」の象形で、だから「肺」や「肝臓」など「臓物」の名前として使われている。

最近名前に使いたいと人気の「胱」は「月+光」ではなく「肉+光」であり、尿袋を現す「膀胱」に使われる漢字である。同じように名前に使いたいという人が増えている「腥」も「月+星」ではなく「肉+星」であり、全然ロマンチックではない。しかも「腥」は「生臭い」という意味の漢字である。

例えば女の子に「胱」という名前をつけ「あかり」なんて読ませても、学校では絶対「やーい、ションベン袋、尿袋」っていじめられるな(^^; いじめは絶対駄目だけど、この場合半分以上は親の責任だな(^^;

この二文字は今は人名で使える漢字(常用漢字+人名用漢字)に含まれていないため悲劇を回避出来ているが、漫画なんかで使われる日も近い気がする(^^;

漫画といえば、中高生に「ハイティーン・ブギ」って作品が人気だったころ、主人公の名前「翔(しょう)」は人名で使える漢字に入ってなくて、何人ものヤンキー少女が「息子が生まれたら使いたかったのにぃ」と悶絶して悔しがったものだ。

今は「翔」の文字は使えるようになっている。今、50~60歳くらいの元ヤンのお母さんたちには悔しい想いをしている人も多いだろう(笑)

<参考>
須藤凜々花結婚宣言事件について。

まず、まったく「須藤凜々花」というアイドルについては知らないのだけど、「職業倫理」という観点で考えてみたい。

ま、結論から言えば「糞女」ですわな。アイドルとして。

どう糞女なのかは、マツコ・デラックス氏が須藤凜々花をキャバ嬢に見立てて解説したものが、もうそのまま真理をついてるよね。

嬢「今月は売り上げがピンチで20位以内に入れそうにないの。悪いけどドンペリ開けてくれない?」
客「いいよ!嬢のお願いだったら30本開けちゃう!(これで一文無しだ)」
嬢「ありがとう!!うれしい」
客「嬢が困ってるときは俺が力になるよ」
嬢「ほんとにありがとうね!!最後に20位以内に入れてうれしい!」
客「ん?最後?」
嬢「あたし、結婚するんで今日でお店やめるの」
客「は?」

ま、ということだよな(笑)

これは「キャバ嬢」という立場で言えば、やめること(結婚すること)を客に説明せず、これからも客と嬢の関係が続いていくという前提で金を出させている時点で、詐欺とは言えなくても、職業倫理上は疑問点がつく行いだよな。

ここで、「それが嬢の幸せなら祝福するべき」とか「だまされる方が悪い」とか、嬢側(須藤凜々花側)を擁護するような発言をするヤツは、本当に物事をちゃんと考えたことのない、本当に頭の悪いヤツと思われ(笑)

百歩譲って、キャバクラ通いなんかしてるのが悪いとか、商売女に対する免疫なさすぎとか、そういう「男の方もねえ・・・」という指摘はあるにしても、「不利な条件を提示せず、ドンペリ30本開けさせた」という行いについては 100% キャバクラ嬢こと須藤凜々花が悪いんやで。

ドルオタキモイとか、リアルな女友達作れやとか、だまされた須藤凜々花ファンを責める言葉も 100%否定はしないけど、今回の「恋愛はしていない」(それが事実かどうかは関係ない)という前提のアイドルたちによる「総選挙」という土俵の上で、不利な情報は提示せず、ファンをだまして金を出させた・・・というのは、アイドルという商売人の「職業倫理」という点から見たら、「須藤凜々花は糞女」という結論になるわな。

いや、まじで、これを理論的に擁護できるやついるの?

法律にはひっかかってないとか(笑)、だまされるほうが悪いとか、ファンもいい夢みただろ?その対価だとか、そういう「悪いことをしたヤツ側の言いわけ」はきかんで。職業倫理上からもまったく問題ないという意見があれば聞かせてほしいね。
そうそう。
4/2 の LOUDNESS のライブの後。

万年金欠病なので物販グッズは買えなかったんだけど、「樋口宗孝がん研究基金 Munetaka Higuchi Foundation for Cancer Awareness and Research」に 1千円だけ寄付させてもらった。

20170402_higuchi.JPG
1千円だけと言うな(笑)マジ、4月は(引き続き 5月もだけど)金欠病が重症なんだから。

ほんとは 1口 500円だけ寄付しようと思ったんだけど、500円玉が無くて(^^;
「すんません、1口なんで 500円お釣りください」というのもさすがに 50歳を超えたおっさんが口にするには恥ずかしいので、2口 1千円で(笑)
寄付した証に樋口宗孝の名前の入ったボールペンを 1本もらった。でも、LOUDNESS 好きなヤツに見せびらかそうと思ってたのに、どっかいっちゃった(^^;
ああ、恥ずかしいけど「2口寄付したんだから 2本くれよ」と言うてみればよかった。
いや、それを口にしてしまったら、俺の中の何か大切なものが壊れる気がする(^^;

まあ、でも、うちも、母方のほうは癌で亡くなる人が多いし、あんま他人事ではないからなあ。
まあ、俺の場合は自分が癌になったことにも気づかずに、「なんか体調悪いなあ」とか思いながら生活していて、そのせいで集中力を欠いて溝に落ちて死ぬとか、そんな最期の気もするけど(^^;

俺のささやかなお金が、少しでもがん研究の役に立つのであれば、それは光栄なことであります。
月丘夢路さんが亡くなったそうだ。

彼女がノーギャラで出演された「ひろしま」という原爆を扱った映画のワンシーンを見ていて、まざまざと脳裏に原爆直後の地獄絵図が蘇ってきた。

もちろん、俺は被爆者ではない。実際の地獄絵図を知っているわけではない。

4/21 に旧日本銀行広島支店の地下で開催されていた「広島平和記念資料館 収蔵資料展」を観たためである。

20170421_genbaku.JPG
現在、原爆資料館が改装中のためなのか、ひっそりとこんな展示会が行われていたのだ。
いや、ほんとに「ひっそり」で、平日の昼間というのはもちろんあるんだけど、訪れていたのは俺の他には一人だけであった。

その一室。被爆者がその時の状況を絵にしたものが何枚だったろうか、全部で十数枚?展示されていたのだが、まさに地獄絵図であった。
絵の上手い人もいるのだが、まるで小さな子供のようなたどたどしいタッチで、それでも、その時の記憶をなんとか伝えようと一生懸命書いたのがわかるような、そんな絵も多かった。
絵には、その人の証言も添えられている。例えば、黒い沢山の人型のものが書かれた絵には「黒焦げになった死体の山から、お父さんを見つけることが出来ました。妹と弟は見つけることが出来ませんでした」のような文が添えられている。

これらの絵には、「敵が攻めてくるかもしれんから、核をもてばいいじゃん」と簡単に口にしてしまう自分たちの想像力の無さをまざまざと思い知らされる。
いわゆる「ネトウヨ」と呼ばれる(俺もだけどな(笑))若者に体験してほしい展示だ。

悲しいことだが、未来永劫、この世の中から戦争(紛争)は無くならないだろう。しかし、皆が戦争(暴力)による痛みを共有できれば、その規模、頻度を減らすことはできるだろう。
ASKA 逮捕のニュースを見て思ったこと。

そりゃ、ちゃんと周りが(本人は「監視されてた」とか言うてるみたいだけど、そういう妄想じゃなく)きちんと「監視」しないと駄目だよ。
まあ、常に「監視」してるのは難しいと思うけど、もうひとつ「みんな、また麻薬に手を出すよ、あいつはって思ってるよ」というプレッシャーは与えないと駄目です。

「自分の力でクスリを断ってくれると信じてる」とか、「そういうプレッシャーを与えることで、かえってクスリに手を出してしまう」とか、「そういう目で人を見ることは差別だ」とか、そういう全ての「甘やかし」は、彼に「誰もあんたがまたクスリに手を出すなんて思ってもないから、隠れてやっちゃえば大丈夫だよ。バレないよ」と言ってるのと一緒だよ?

つまり、今回 ASKA がまたクスリに手をだした一番の原因は、「彼を信じる」「彼なら大丈夫」と言っていた人間たちの存在だよ。

今度彼が人の前に姿を表した時は、「お前、どうせまたクスリに手を出すだろ?」「もうお前のことは信じないから。」「常にみんなお前のことを見ているぞ」「警察もお前をマークしてるからな」というプレッシャーを与え続けないと駄目だよ。「優しさ」はまた彼をクスリの世界に誘うよ。

本人の意志でやめられないのが覚醒剤です。
再犯しちゃうのは、意志が弱いわけじゃないよ。煙草だってやめられないやつがいっぱいいるし、覚醒剤よりずっと依存性の弱い酒だってアルコール中毒の人が自分の意志だけで完全に酒を断つのは難しい。
なのに、どうして覚醒剤を「自分の意志でやめられる」とか思えるのかね?「彼はもう二度とクスリには手をださないから、温かく見守ってあげよう」なんて無責任なことが言えるのかね?

今回の再逮捕で、もし ASKA がクスリをやめたいと思っても、どうせ「彼は罪を償ったんだから、変な目で彼を見ては駄目です」とか言い出す「迷惑な人権屋」が現れて、彼をクスリの世界に戻しちゃうんだろうなあ。
まずは、熊本地震の被災者の皆さんに、早く普通の生活が戻ってくることをお祈りします。

とりあえず、出来ることをということで、義援金を送りました。

東日本大震災の時は、直接赤十字に2万円と、中国新聞社会事業団から1万円ほど送ったんだけど、今回は全部中国新聞社会事業団経由で。

20160420_shinbun.jpg
ここは新聞に名前が出るからいいのよ(笑)ブロック紙の中国新聞朝刊に。
やっぱ、お金使うんだから、その証というか、なんぼかでも「売名」できないとな(笑)
たまにちゃんと新聞読んでる人がいて、「寄付してたね~」なんて声をかけてもらったりも。「いやいや、まあ、人として当然のことを・・・」なんて言いながら、「ああ、今、俺のことを良い人だと思ってるんだろうなあ。くすくすくす」なんて(笑)

ええ、偽善で売名ですけど、何か?(笑)
少なくとも、何もしてない人間よりは俺の方が偉いな。「偽善者め」なんて言われる謂われはまったく無いな(笑)

金額は少ないかもしれないけど、今出せる精一杯のお金なんで、きちんと使ってね!>関係者の皆さん

なにせずっと赤字の会社なんでね(^^;何年かおきに黒字の年があるので、それでなんとか帳尻を合わせてるだけで。なので、余っている利益から・・・ではなく、1円でも会社から寄付をするということは、すぐに赤字に直結するわけで、正に身を削って捻出したお金なわけ。
個人で出した 1万円も、月に 3万円の小遣いの中から無理くり抽出した貴重なお金なわけ。

はっきり言って、「100万円の利益を出している会社が寄付した 100万円より、うちの会社が寄付した 2万円の方がお金の価値的には重い」からね。

例えば人夫の給料をピンハネして儲けてる土建屋の親父が「俺は10万ほど寄付したで。お前んとこ、2万円かよ」なんて言ってきたとしても、俺は笑っちゃうね。だって、その親父はもっと金が出せるのに 10万円しか出さないケチ野郎で、俺は 1円の金も出す余裕が無いのに 2万円も絞り出した偉い人だからね(笑)

まあ、被災者的にはお金が多い方が良いでしょうけど(笑)

いや、時々金額であれこれ言うてくるアホがいるので、一応、「ガタガタ文句を言うてるお前がどれほど偉いのか?」ということをしっかり考えてほしくて書いときました(笑)

皆がそれぞれできることをしましょう!

<追記>
ゲーム感覚で募金するのもありよ。
東日本大震災の時には俺は、赤十字や中国新聞社会事業団経由の義援金の他に、「コンビニやスーパーで買い物をした時に財布の中にあった小銭は全部その場で募金箱に入れる」というのをしばらくやったけど、ドキドキで楽しかったよ。1ヶ月で根をあげたけど(笑)
財布に 5円玉しか入ってなかったら「ラッキー!!」とか思ったり(笑)
これを不謹慎と言うなら言えばいいけど、お前はそう言えるほど偉いの?ともう一度最後に書いときます(笑)

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