水曜日は、横川シネマにて遠藤ミチロウ監督作品「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」を観て、その後行われたライブを観て、「寅卯」で反省会して(してねえけど)そして帰ったら深夜 0時30分。寝たのは 2:30。起きたのが 6:05。というわけで翌日は一日眠たかった(^^;
でも、まあ、久しぶりの遠藤ミチロウだし。どんな映画撮ったのか観てみたかったし。
先週、横川シネマまで前売りを買いに行ったんだけど、正直「今、広島でどの程度ミチロウの名前で集客力があるのやら?」と思ってた。ガラガラの会場でやたら眼が合うのもやだなあ・・とか(^^;
19:30開演だったんだけど、N◎君と横川駅前で19時に待ち合わせて、「ガラガラじゃったらどうする?」などと話をしながら横川シネマへ向かう。駅から徒歩 3分の道のり。そしたら、横川シネマ前に行列できてるじゃん!!(@_@
「ええ???」と思いつつ最後列に並んだら、「前売りをお持ちの方はもう入れまーす」とアナウンスが。ラッキー。前売り買っといてよかったぜ。てか、予想外の大盛況やん。
結局、常設シートは満席。一番後ろのシートのさらに後ろのスペースに、海の家に置いてあるような安っぽい白いプラスチックの椅子まで用意されていた。
満席と言っても、横川シネマのシートは左右に大きな肘置きのついたかなりゆったりしたものなので窮屈なことはないんだけど、空調が追いつかずむんむんしている(^^;
デブには辛いわ(^^;ももの裏にじっとり汗をかきつつ映画鑑賞となった(^^;
映画は、2011年のミチロウの日本全国を飛び回るライブ活動を追ったロードムービー・・・なんだけど、そう、2011年は東日本大震災が発生した年。そのため、途中からミチロウの震災被災者救援活動のドキュメンタリーみたいになっていく・・・が、最後はまたライブを追っかける最初の展開に戻り、なんともとらえどころのない作品だった。
ただ、それだけに生のミチロウの姿をリアルに捉えたドキュメンタリーになってると思ったので、俺はそこそこ満足だったけど。
でも、ネットで見る映画の紹介では、まるで全編「プロジェクトFUKUSHIMA!」でのミチロウの活動だけが描かれているかのような(ミチロウは「原発ブルース」のような反原発の歌を作ったりした)誤解を与えるためか、「反原発」な市民活動家臭のする人がいっぱい集まってきてたけど、あの人たちにとっては物足りない映画だったんじゃないかな。
そうそう。映画の中で、8/6に毎年ミチロウが「爆心地ライヴ」を行っている広島のライブハウス「OTIS!」のマスターが(正確には覚えてないので、こんな感じって話だけど)「広島に生まれた俺たちには『ヒロシマ』の歴史や思いが染みこんでいて、核や放射能のことも他所の人より考えているけど、原発反対派にしても、推進派にしても、極端な意見を言うやつの言葉はわからない。理解できない」なんてことを言ってて、この言葉はすーっと俺の中に入ってきた。
そう。そのとおりなんだ。多分、この日映画を見に来ていた市民活動家の中にも、ドキっとした人間や、「なんだと!」と腹を立てた人がいたと思うんだけど、まさにそのとおりなのだ。
原爆の日に、平和公園の周りを走り回る街宣右翼に感じる嫌悪感と同じものを、原爆ドームの周りで拡声器で反核をがなり立てる市民活動家たちに対しても、俺たち「一般人」は感じているのだ。
「ヒロシマ」の地で語られる右翼、左翼、どちらの言葉も極端すぎて俺たちの心には響かないのである。
「私達が口にしているのは平和であり、反核であり、正義である。広島市民は皆理解しているはずだ」と思うのは思い上がりである。つーか、自分たちでも自分たちの「異質さ」に気づいているくせに。
例えば、原発であれば「まったく心配はありません。100%安全です」という推進派の嘘も、「原発は今すぐ全部廃止すべき!」という反対派の現実味の無い理想論も、一般市民の耳には「何か言うてるなあ」レベルでしか入ってこないのである。
それを自覚するべきだ。
まあ、自覚できないんだろうなあ(^^;例えば反対派のおっちゃんとか、絶対「いや、即時全廃というのは決して理想論ではない」なんて言いそうだもん(笑)
響きません、響きません。そんな言葉は「一般人」(潜在的には広島市民は「反対派」なんだけどね)の耳には入ってきません。
そんな、広島では誤解を受けそうなマスターの言葉を、そのまま映画の中に残したミチロウのセンスに脱帽する。
ミチロウ、やっぱりパンクだぜ。
<追記>
上映の後の、横川シネマの兄ちゃんとミチロウの対談は、兄ちゃんの事前の勉強不足と、ミチロウの難聴のためにぐだぐだで、正直、見るに耐えませんでした(^^;
反省しろ、横川シネマ。兄ちゃんの友達も、「あれはあれで面白かったよ」とか馬鹿な励ましをして、兄ちゃんの更生を邪魔すんじゃねえぞ(笑)