テレビとか映画とか: 2017年10月アーカイブ

これも Hule で視聴。

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酒ばっか飲んでる名脇役の男が主人公の映画。

特に何か事件がおきるわけでもなく、37歳独身の俳優・亀岡拓次の日常が淡々と語られていく。

世間では名前を知られていない脇役専門の俳優。でも「あの映画に出てましたよね?あの泥棒、好きだったなあ」みたいに人の記憶には残っている俳優。
古参の舞台役者からも目をかけられ、若手監督からは信頼され、気難しい名監督をも演技で微笑ませてしまう隠れた名優。

しかし、生きることに欲がなく、事務所が見つけてきてくれた仕事だけを淡々とこなし、一人暮らしは寂しいと言いながら、好きな女にも告白できない。ただ、仕事が終わってから飲む酒がささやかな幸せ。

そんな男のことが劇中劇や夢と現実を交えながら描かれる。

ごめん。正直退屈でした(笑)
TEAM NACS の安田顕の演技力・存在感があって 2時間持った映画だね。
安田顕という名優だからこそ「隠れた名優」を演じられたわけで、その安田のおかげでなんとか作品として成立している、そんな映画だった。

ただ、もう、「こんな風に実力はあるのにガツガツせず、飄々と生きているヤツ、格好良いよね」っていう、ちょっと古くさい「格好良い男」ぶりの押し付けがましさと、「映画業界あるある」エピソード連発の「ああ、映画関係者はこの映画観ながら大笑いしたり、ちょっと涙ぐんだりしてるんだろうな」感がすごくて、途中でお腹いっぱいというか、飽きてしまった。白けてしまったっていう言い方が正解か。

映画業界にあこがれている人は観てみたらいいかも。
今日 Hule で見たけど、世間で言われているほど酷い作品じゃないじゃない?

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まあ、何が何でも実写版が許せん人とかさあ、アニメそっくりな世界観が再現されてないと絶対許せん!原作アニメが汚されたとか思う人はいると思うし、そういう人たちを納得させる作品なんて絶対作れないんで(だって、甘いものしか食べれない人に、いくら辛くて美味いものを作っても評価は出来んじゃん)、そういう人の意見はまったく無視させていただいて、そもそも俳優陣は実力のある人間ばかりだし、原作アニメにそっくりにしようという無理もないし(そういうことをするとギャグになる)、なかなか頑張ってる作品だったね。
素直に面白く観させていただきました。

ベルクカッツェの正体の意外性とかね。

まあ、CG 関係の見せ方が稚拙な部分はあるにしても、ハリウッドほど金がかけられないという制約の中では相当良いものを作ってると思うし、いや、ほんと、CG 部分の尺を短くしてじっくり見せないようにしたり、輝度を落としたり、リアルに見せるテクニックが足りないだけで、データ的には良いものが作れてると思うし、メカデザインはゴッドフェニックスが何かごちゃごちゃ継ぎ接ぎだらけ(最近、リアルにしようとしてこういうデザイン多いね)なのが気になったけど、タートルキングとか、原作と比べるから「原作への崇敬が無い」とかなっちゃうだけで、別にあれはあれでありなんじゃないの?
バードスーツ(と作中で呼んでいたかどうか知らんけど)も格好良かったじゃん。原作とは全然違うけど。なにせ、剛力嫌いの俺が「お、なんか剛力も格好いいじゃん」て観たからね(笑)

まあ、そういうことを言うと、「じゃ、ガッチャマンじゃなくていいじゃないか」って話もあるんだけど、反対に、別に「ガッチャマンでもいいだろ?」と思うね。

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確かに、指摘している人がいるように「ギャラクターがわずか十数日で地球の半分を支配下においてから、なんで十数年もその後もう半分を征服できないでいたのか?」とか、「世界の半分が征服されている割に東京なんかは普通に栄えてて皆ショッピングや食事なんかを楽しんでて何なの?」みたいなおかしな設定・世界観は俺も気になったけど、そこは「ギャラクターは当初 300人しかいなかった」わけで、物理的にそれ以上無理に版図を広げる必要はないと判断したとか、ギャラクター構成員にも寿命はあるんで(十数年でベルクカッツェも三代変わっている)指導者が死んだとか色々あったのかもねとか、自分で色々想像して俺は楽しんだよ(笑)
そもそも、第2次世界大戦の時だって、相当制限はされていたけど、それでも東京で芝居や娯楽映画も公開されていたからね。敗戦のその日まで。

あと、ガッチャマン内恋愛についても気に入らない人が多いみたいだけど、まったく別のストーリーなんだからジュンが健にベタ惚れでもええじゃない(笑)

最後に「科学忍法 火の鳥」も見れたし、俺は(決して傑作だったとまでは言わないけど)楽しく観たよ。
ま、「実写版デビルマン」を観てしまった世代は、実写版を徹底的に嫌ってしまうか、俺みたいに「ま、原作の世界観とかにそんなに拘らなくてもええんじゃない?」と寛容になってしまうか、両極端なのかもしれんけど(笑)
昨日、Hulu で観たんだけど、「さいはてにて~やさしい香りと待ちながら~」、中々の良作であった。

大きな事件・・・が、なくはないのだが、未遂事件だし(^^;、物語は珈琲店を中心とした、どこか心に傷をもった人たちの邂逅を描きつつ、地味に淡々と進んでいく。正直、あまり期待せずに観始めたんだけど、結局最後まで一度も間延びした感じも無く観終わった。ずっと観ていられる映画だった。

以下、もろにネタバレなので、ここまで読んで少しでも興味を持った人は、この画面を静かに閉じよう(笑)

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主人公は、東京にすむ30代の女性・岬(永作博美)。8年前に漁船で遭難し行方不明となっている父の失踪宣告がなされたことで、石川県の奥能登にある古い舟小屋を相続する。
岬は、そこで珈琲店(喫茶店ではなく、珈琲豆を焙煎して販売する店)をやりながら、父の帰りを待つ。
岬の両親は30年前に離婚しており、岬はその時に大好きな父を捨て、母についていったことがわだかまりとなって残っていた。そのわだかまりを捨てるためにも、父が生きていることを信じ、父の舟小屋で父の帰りを待つのだった。

面倒見の良い岬の元には、心に傷を持つ女たちが集まってくる。
向かいの民宿に住む小学生の娘、その母・絵里子(佐々木希)。娘の学校の担任など。一杯のコーヒーを挟んで彼女たちと心を通わせ、友情を育んでいく
特に、民宿の親子とはいつしか家族以上の絆で結ばれ、あてなく父の帰りを待つ岬の心も癒やされていく。

そんな時、父が乗っていた漁船の一部と、乗組員たちの頭蓋骨が人数分発見される。父の死を認めたくない岬は骨の鑑定を拒むが、その夜、かつての父のように舟小屋でギターを爪弾きながら、父の死を受け入れていく。
幼い頃の岬は、夜の舟小屋で聞く波の音が怖くていつも泣いていた。そんな時、父は側でギターを弾いてくれ、それを聞くと岬は安心して眠ることが出来た。父の死を受け入れた岬は、子供の時のように舟小屋で聞く波の音が怖くなった。しかし、もうギターを弾いて岬を安心させてくれる父はいない。

波の音が怖くなり、また、もう父を待つ必要もなくなった岬は珈琲店を閉じ、あてのない旅に出る。
業者に焙煎機の引き取りも依頼し、もう二度と舟小屋の珈琲店に戻ってくる気はない。そんな岬を、絵里子たちは寂しい気持ちを押し殺し見送る。

しかし、何日か後、舟小屋に岬は戻ってくる。
父を待つ必要はなくなった岬だが、もうその珈琲店とそこへ訪ねてくる人々との交流は岬に取って無くてはならないもの、「かけがえのない場所」になっていたのだ。

・・・という話。

スパイが活躍したり、名探偵が殺人犯を追い詰めていったり、世界が終わるような異常気象が発生するわけでもなく、静かに物語は進んでいく。
でも、冒頭に書いたように全然間延びしたシーンはなく、アクション映画でもないのに目が離せないのだ。

それでいて、押し付けがましい部分がまるでない。
人はこうあるべきとか、これが正義だとか、こういう生き方って格好いいでしょ?とか、そういう監督の思いがわざとらしく発現した映画ではなく、それぞれの感覚で感動し考える自由のある作品だ。

だから色々考えた。

ほんと、ひさしぶりの良作に出会えた幸せな週末であった。

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