3/19に娘の卒業式があり、これで 14年間途切れることなく続いた小学生の保護者の役目も終了。親にとっても小学校からの卒業である。
しかし、まあ、節目節目の年になにかが起こる楽しい(?)14年間ではあった。
次男坊が卒業する年に祖生東小学校が廃校になり、祖生西小学校と一緒になって「そお小学校」が開校した。
次男坊が祖生東小学校の最後の卒業生であり、娘がそお小学校の最初の入学生だった。
そお小学校命名時のごたごたはこのブログでも書いた。あわや世代間断絶を生みかねない騒動だったが、地元の市会議員さんからも「気持ちはわかるが、そう怒るな」などと諌められ、なんとか開校にこぎつけた。
まったくもう、あのときの教育委員会の・・・まあ、もうやめておこう(笑)
そお小学校では、初代育友会長(PTA会長)をやった。
「西小の校舎を使うんだから、そお小学校の最初の育友会長は東小から出せ」みたいな地区の上の方のおじいさんたちの政治的なあれこれがあったようで(笑)、東小で副会長をやっていた俺に話が来た。
前年の東小、西小の会長をしていたT君やY君もバックアップしてくれるというし、実際、勝手知らない西小の校舎で、しかも人数の少ない元東小の保護者は肩身の狭い思いをする恐れもあったので引き受けた。
うまく東小、西小の保護者を結び付けられたかはわからない。実際、2年間会長している間、「西小の親は・・・」とか「東小の子は・・・」みたいな言葉も耳に入ってきた。
でも、俺個人的には保護者仲間が増えたのは楽しかった。一緒に酒飲む仲間が増えたわけで(笑)。元西、元東は関係なく、アルコールの匂いのするところには顔を出し楽しく過ごした。酒飲まない人へのフォローが足らなかったのは本当なので、そこのところは申し訳なかった(笑)
開校から 6年。今では「東が」「西が」なんて言葉を聞くこともほとんど無い。
そして、娘の卒業式の「コロナウィルス騒ぎ」である(^^;
在校生の送辞がなくなったり、来賓が育友会長のSバタ君だけになったり、少し簡略化したところはあったが、あまりそういう部分を感じさせることのない良い卒業式だった。これもまた娘たちの良い思い出になるだろう。
あ、長男坊の話が出ていない(笑)
同級生が何十人もいた広島のマンモス幼稚園から、同級生が数名の祖生東小学校に入学した長男が、入学式の日にひとりで教室の椅子に座り(俺らが一番最初に登校したのよ)、小学校に入学する嬉しさと緊張の混ざりあった顔で、じっと黒板を見つめていた姿は今でもよく思い出す。田舎につれてきて申し訳無いって気持ちも正直あったし(^^;、友達できるのかな?とか。
しかし、そんな親の心配を他所に、長男坊は凛とした姿でただ前を向いていた。
そして今思うのだ。「小学校低学年の頃は誰もが可愛い」・・・と(笑)