美術・芸術: 2025年5月アーカイブ

今年の 1月13日、随分前の話だが、広島市現代美術館の「コレクション展 2024-Ⅲ ハイライト+リレーションズ[ゲストアーティスト:西島大介]」を観た。

特別展「原田裕規:ホーム・ポート」を観たついでに・・・だったけど。(こちらの特別展については、このブログにも書いている

で、感想だが・・・

なんも覚えてない・・・(^^;; つまり、ピンとくる作品がなんも無かったんだろうなあ。

パンフレットの表紙にもなっている小沢剛氏の「ベジタブル・ウェポン・スペシャル」は、「原爆ドームの前で野菜を持った女が立ってる写真」という如何にも現代アートという作品で、広島が舞台になっているのでわずかに記憶があるが、その時も「何が言いたいのか、何を表現したいのか、まったくわからん。ザ・現代アートだな・・・」と思っただけであった。

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西島大介氏についてもあまり存じ上げず、氏が書いたキャラクターを観て、ああ、どっかで見たことある絵柄だなあ・・・と思っただけで心に刺さることはなく・・・。娘が好きな絵柄かなと思って、帰ってパンフレットの氏の絵を娘に見せてみたが「ふーん」という感じで爆死であった。

もちろん、俺に響かなかったからといって、それが作品の良し悪しの判断にはならない。
現代アートは「何を表しているか」を読み解く過程、そして読み解いたとき「なるほど」と納得できることに価値があり、その価値は個々の「観る人」の感性に委ねられるもので、俺にはなにひとつ読み解けるものがなかっただけの話だ。

一応、作品の横の説明も読むけど、それでもなんか納得できなかったものばかりだったということ。まさに「俺には刺さらなかった」だけの話である。
そして、誰一人刺さる人間がいなかった作品は「現代アート作品」とは呼べず、それは「オナニーのティッシュ」である。自分だけ気持ちよかったのね・・・という。それだけの話し。

だから反対に、どんな突飛な素材や造形のものでも、見ただけで「これ面白い」「これ好き」と感じられるものは現代アートではなく、伝統的な「美術作品」だと思うのよ。あ、これは余談。
随分前、今年の 1月13日の話。久しぶりに広島現代美術館を訪ねた。

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広島現代美術館を訪問したのも 2年ぶりくらい?
土日の仕事をするようになってなかなか行けなくなった。

ああ、やっぱ今このブログを見てみたら、2年以上前に「アルフレッド・ジャー展」観にきて以来だ。

今回は、「原田裕規:ホーム・ポート」展を観に。
原田氏は広島出身の作家。いわば里帰り展。
岩国市にも住んでいたことがあるようで、灘から見える山をモチーフにした作品もあった。

・・・が、どうも俺にはピンとこなかったね。
作品の説明文を読めば「ああ、なるほどね」とは思うが、だからといってその意図が全然響かないというか・・・

多分、俺という人間は「映像作品」ってやつがあまり好きではないんだろうなあ・・・知らんけど(笑)
どんな作品を見ても、冗長にしか感じないんだよなあ。映画のような「わかりやすい」物語性のあるものは好きなんだけど。
絵や写真のように「その時」を切り出した作品の方がやっぱりインパクトがあると感じてしまうのよね。

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ただ、「廃棄された写真」を集めた展示作品は面白かった。
テーブルの上に、何千枚、何万枚もの古い写真が雑に置いてあるだけなんだが、観客はそれを自由に手にして観ることができ、そのどこの誰ともわからない人の写っている写真に、観客自らが物語を作っていくことのできる作品。

持っていた人が死亡したり失踪したり、あるいはゴミとして出されたりして、廃棄業者のもとに持ち込まれた写真を、ただ原田氏が集め、まとめてドンっとテーブルの上にばら撒いただけの作品。でも、作品として色々な意味づけや展開のできる可能性のある作品だなあ、これ。

というわけで、ピンとはこなかった特別展だったのだが、それなりに得るものもあった広島市現代美術館でのひと時なのであった。

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