今、俺がプレイしているのは「Survival Islands」という「世界」。
Minecraft は最初に「世界」を作る時、任意の文字列「シード値」というのを入力する。「1234」でも良いし、「shinoda」でも良い。要は「世界」を作るための計算の元になる値(疑似乱数算出のきっかけ)を与えてやるのだ。この値によって地形など様々要素が形成されていき、同じものはひとつとして無い「世界」が構築される。
ただ、入力したシード値によってどんな「世界」になるかは事前にはわからないので、いくつかの典型的なシード値がメニューに用意されている。そのうちのひとつが「Survival Islands」で、シード値は「2189910」である。
「Survival Islands」は、いわゆる「島嶼群」「諸島」タイプの「世界」で、ひとつの島では資源が全て手に入らないので、近隣の島を渡り歩き、木や石などの資源を集めないといけない。
これで活躍するのがボートだ。
「泳ぐ」のと違って、移動速度は速いし(何倍も速い)、操作をしてなくても沈まない(泳いでる時は、常に前進ボタンを押してないと沈んでしまい、息が続かなくなると死ぬ)。
そして、このボートには自分の他に、動物を一匹積むことが出来る。(動物が自分でボートから降りることは出来ないので、ずっと一緒にボートに乗ることになる)
時には自分の帰るべき島がわからなくなり、長い時間海をボートで彷徨うことがあるが、そんな時にも自分以外の生き物が乗っていると思うと心強い。
最初の相棒はニワトリだった。
俺がボートを岸に寄せしばらく放置していたら、いつの間にかニワトリが一羽ボートに乗っていた(笑)
動物は常に餌を求めて島の中を歩き回っているので、その流れでうっかりボートの上に乗ってしまったのだろう。
「ええと、俺はどうしてこんなことに?」という顔で(そう見えた(笑))ボートに乗っているニワトリを見て、娘も可愛いと悶絶していた。
モンスターがぷかぷか浮いている狭い海峡を漕ぎ抜けていく時なども、後ろの方でニワトリのコケコッコーという呑気な鳴き声を聞いていると恐怖が和らいだ。
しかも、ニワトリは卵を生む。ボートに乗って移動しているだけで俺のインベントリーには卵が増えていった。
が、別れは突然やってきた。
ある島で、ニワトリの乗ったボートを岸に着けたまま、俺は島に上がり鉄鉱石などの鉱物を探していた。
そのうち夕暮れがせまってきた。Minecraft では、夜になるとモンスターがぼんぼん湧いてきて、死んでしまう確率が上がる。俺は慌ててボートに戻った。急いで自分の島に戻ろう。
しかし、慌てていた俺は、崖の途中で足を踏み外し、ボートの上に飛び降りてしまった。
ニワトリの「コケーーー!!」という悲鳴を聞いた。
気がつくと俺は海の中だった。ボートもニワトリも眼に入らない。「???」どういうことかわからなかった。
やがて、足元にボートが沈んでいるのを見つけた。高いところからボートの上に飛び降りると、ボートは壊れはしないが沈んでしまうようである。足元のボートを見下ろすと「乗る」ボタンが表示された。「沈んでるのに?」と思いながら押すと、ボートが浮き上がって乗ることが出来た。
そうか。沈んでいても、叩き壊してアイテム化してなければ乗れるんだな。
しかし、ニワトリの姿は見えない。
どうやら逃げてしまったようだ。
俺がニワトリを気に入っていたことを知っていた嫁さんは「残念じゃったね」と言ってくれた。
ずっと背中でコケコッコーという声を聞いていたので、一人でボートに乗るのは寂しかった。
島に帰れば、また自分から乗ってくれるニワトリがいるだろうか。というか、あのニワトリに名前をつけてやればよかった。
一緒に小さなボートで海を走り回っていたのに、俺はずっと「ニワトリ」と呼んでいた。まあ、間違いじゃないんだけど、「トリくん」とか「チキちゃん」とか呼んだら、もっと心が通いあったかもしれない。
今からでも遅くない。一緒に旅した思い出を語る時、俺は「ニワトリ」のことを「チキちゃん」と呼ぶことにしよう。
俺の後ろで、いつも元気よく鳴いていたチキちゃん。いつの間にか卵を産み落としていたチキちゃん。
なんとか日が沈む前に自分の島にたどり着いた俺は、家の中に設置したチェストに採取した資源を保管しておこうかと、手持ちのアイテムを確認した。
「生の鶏肉」が増えていた。
チキ・・・ちゃん・・・?
どうも、俺がボートの上に落ちた時、チキちゃんに高角度ドロップキックを見舞わせた形になったようだ。
ボートが沈んだだけではなく、チキちゃんをも昇天させていたとは。
チキちゃんは逃げたわけではなかったのだ。生の鶏肉になって俺の側にいてくれたのだ。
ちょうど腹を減らしていた俺は、「かまど」で生の鶏肉を焼き鳥にして美味しくいただいたのであった。
Minecraft は「世界」である。そこではもうひとりの俺がこの世界の俺と同じように生きている。
そして、生きていくことは、こんな悲しい思い出も増えていくことなのである。それでも人は強く生きていかなくてはならない。
そう、生まれてきたのだから。