田舎生活: 2014年4月アーカイブ

平成26年 3月27日。

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氷室ヶ岳と高照寺山に挟まれた、すぐ側を源流のほど近い島田川が流れる祖生の盆地に立つ祖生東小学校。
この日のグラウンドには、沢山の車が並んでいました。

この日、祖生東小学校は閉校を迎えました。
グラウンドに並んだ車は、その閉校式に出席される人たちのものでした。

祖生小学校が昭和32年(1957年)に祖生東、祖生西の二つの学校にわかれ 57年の歴史が刻まれ、そして、平成26年 4月から再びひとつの学校に戻るのです。

東小学校の閉校式が終わった後で、西小学校の閉校式も行われます。

理由は「過疎による児童数の激減」・・・
まあ、今、日本全国でいくらでも見られる現象ですね。

少々子供の数が少ないのは、俺は問題ではないと思ってます。申し訳ないけど、一人の児童にかかるコストは都会の学校に比べると随分高いでしょう。児童本人にやる気があれば、随分手厚い教育が受けられると思います。
「税金の無駄使いだ」とか素っ頓狂な意見を言われる馬鹿もいらっしゃるでしょうが、教育を受けるのは国民の権利であり、都会の子の教育コストが 1で、祖生の子には10使われていようが、それは当然の権利なので、恥ずかしく思いもしませんし、都会の人たちの税金が田舎の学校で消費されていても特別ありがたいとも思いません。
文句があるんなら、お前も子供連れて祖生に来いや!!と言わせていただくだけっす(笑)

なので、少々過疎で児童数が減ろうと、別に他の学校との合併なんてまったく考えてなかったんですけど、さすがに、1学年で 1、2人だけみたいなクラスが出てきちゃうと色々考えます。
やはり、別に 100人の友達は必要ないと思うけど、最低で 2~3人は欲しいよね。同学年の友達がいないとか、1人だけとかやっぱ寂しいよね・・・と。

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なので、俺達は祖生東小学校の閉校も必然であったと思っています。
そもそも、昔は祖生小学校一校だったんだから、もとに戻っただけじゃねえか。
俺も祖生東小学校の卒業生だけど、大事なのは、俺の小学生時代の思い出ではなく、これから祖生で育っていく子供たちの未来ですからね。

・・・なんですが、さすがに閉校式で、校旗が返納され、最後に校歌斉唱を行った時は寂しさに苛まれました。

まあ、だからといって、小学校閉校の道を選んだことに一片の悔いもありませんけどね。

永遠に変わらないものなんか、この世にはないんです。
変わらないことだけを望み、不幸に対して何の手も打てない愚か者にはなりたくないからな、俺は。てへぺろ(死語)

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