田舎生活: 2016年12月アーカイブ

昼と夜とのはざま。逢魔刻。いわゆる黄昏どき。
もう夜なんだけど、山の向こうにはまだ青い空の色が微かに残っていて、そこに明るく光る星ひとつ。

最近楽しみなのは、土曜日の 17:30に平畑の山の上のピアノ教室(山の上とか言ったら怒られる(^^;)へ娘を送っていった帰り道。
車からは氷室岳の西側の山(名前知らね(^^;)の上の「夕焼けの残像」が正面に見える。もう祖生の村は「夜」になってるんだけど、山の向こうにはまだ「夕焼け」が残っているのが見える。
これがきれいなのよね。

祖生はどこにでもある「中途半端な田舎」で、都会からわざわざ見に来るようなきれいな自然も無いし、山奥の集落のような、まるで別世界に迷い込んだようなわくわくする隔離世界感のようなものもない。まあ、正直、田舎なのに田舎な魅力の無い村だと常々思ってたんだけど、こうしてみると、やっぱまだまだ良い景色も残されてるねえ。

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まあ、こんな「闇」「夕焼け」「青い空」の三層の光の移り変わりをひとつの景色で楽しめるのはほんの一瞬で、それに派手さがあるわけでもないから、こんな景色が観光のネタになったりするわけではないけど、別にそんな風に「金」にならなくても、生活の中でふとこんな景色が楽しめるのは(日頃不便な生活をしている俺たちへの(^^;)ご褒美なんだろうよ。

多分、見過ごしているこういう風景っていっぱいあるんじゃろうねえ。

そういえば、岩国の旧市街から祖生に引っ越してきた女性が、登山口から俺の家の前まで道のすぐ側がずっと田んぼなんだけど、秋、道に沿って風が吹き抜けていく時、田んぼの稲穂がその風の流れに合わせてさーっと揺れるのを見ていると飽きない・・・とか言ってて、「俺、田んぼの稲穂をそんな風に『景色』として見たこと無いなあ」と思ったのを思い出したわ。
まあ、すでに祖生の子育て世代と一部の団塊の世代以上のじいさんたちとの間には世代間の断絶が生まれてる(じいさんたちの方にその認識があるかわかんないけど)。なので、諦め気分で「いまさら、あのおっさんたちに何を言うても通じないんで、もういいです」という若いママさんも多い(^^;
だから俺が代わりにここに書いとくけど(俺がこんなことをいうてたで!!という証拠にすりゃいいじゃん(笑))、ちょっと祖生のじいさん方の無神経さはひどいね。

いや、割と「若い男」(便宜上、俺もこの若い男に入ってます(笑))には気を使うんよね、じいさんたちも。意見とか聞いてくるし、頭から横柄な態度で接してきたりはしない。
でも、女子供にはまったく気を使わない。古い「いやなじじぃ」そのもの。

昨日、祖生東子供会のクリスマス会を 18時まで末元の集会場を借りてやったんだけど、次にそこで忘年会をやるじいさんたちが、暗くした部屋で子供たちが蝋燭に火を灯し、静かに、キャンドルナイトっていうんですかね、そういうのをしているところに、何度もビールやらなんやらをどかどか運び込んできて雰囲気は台無しだわ、うるさいわ。あげくに「次、ここで忘年会やるんじゃが、いつまで(クリスマス会を)やるんや?」って大きな声で聞いてきて、場の雰囲気は最悪になったとか。

いや、それぞれに事情があるのはわかるし、次に 18時から別のグループが使うのなら早めに切り上げるようにできればベストってのもわかるけど、そういう問題じゃないよね。
少なくとも 18時までは借りてるわけだし、いや、そういう問題でもないな。

つまり、「優しさがない」「臨機応変の対応ができない」「相手が女子供なら傲慢な態度をとる」というダメなじじぃだなってことだよ。

18時からぴったりに忘年会を始めたいから事前に物を運び込みたいってのもわかるけど、それをキャンドルナイトの真っ最中にやるか?たとえば俺なら、最初にガラっと戸を開けて「あっ!」とはなるかもしれんけど、近くにいるママさんに小声で「ごめん、ごめん。次、6時からわしらあここで忘年会じゃけえ。荷物運びたいけえ、終わったら言うて。表の車におるけえ」と伝えて退散するで。
で、18時になっても終わらんかったら、また近くのママさんに「まだいかのお?」とプレッシャーはかけるけど。

これが、別に特別なことじゃなく「普通の」大人の対応だよな。

昨日、複数のママさんたちから「ほんと、末元のじいさんサイテー」とかいう話を聞いて、俺も怒るとかなんとかじゃなく、「ダメだ、こりゃ」と思ったね。

そういうじいさんたちがいるから、祖生はどんどん寂れるし、じいさんたちも孤独で寂しい死を迎えるんだよね、いずれ。
そりゃ、だって、若い世代、そんな傲慢なじじぃと話もしたくないと思ってるもん。

「子供たちのために 100%年寄は我慢しろ」とか「若い者の言うことだけきいとけや」って言うてるわけじゃないのわかるよね?わからない?ほんと、60年も 70年も 80年も、いったい何を考えて生きてきたんだい?
12/4(日)は「祖生ふるさと祭り」であった。田舎でよくある「公民館祭り」的なものです。

もう何十年も祖生を離れ、都会で暮らしている方は「ふるさと祭り、まだやってたのか?」と驚かれるでしょうが、まだやってますよ(笑)
以前は土日開催(一部行事は月曜日にもやってた・・・よね?)だったけど、今は日曜日だけの開催。縮小はしたけど、でも、ちゃんと続いてます。

祖生の子供たちにとっては、ミニ駅伝や綱引き大会、子供会単位での神輿コンテスト、ごく少数(2、3軒)だけど屋台も出るし、祖生を拠点に活動している高照寺山スカイセーリングさんからのお菓子の配布もあったりして、毎年楽しみにしてる行事やね。

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ただ、俺にとっては毎年憂鬱な行事です(笑)
理由は 300歳駅伝(^^;
もう、このブログでも何度も書いているけど、自治会単位で作ったチーム(実際は複数の自治会で1つのチーム)対抗で行うミニ駅伝なんだけど、7区のメンバー全員の年齢の合計が 300歳以上にならないといけない、つまり平均年齢が 43歳以上でないと駄目というなかなか厳しい制限があって、「足の速い若いやつ」ばかりでチームが組めない。例えば 25歳の若いのに走らせると、次の区間は 68歳の人が走らないと平均 43歳にはならないという・・・(実際は 7区全体で数字が合えばいいんだけど)

なので、俺なんか足が特別速いわけでもないのに、年齢が「300歳駅伝を走るのに」ちょうどいい 40~50歳代なので、祖生に帰ってきてから 10年になるが、毎年 300歳駅伝にお呼びがかかってる(^^;
球技も苦手なので、ソフトボールナイターリーグの参加も実際苦痛なのだが(笑)、それの何倍もこの 300歳駅伝はいやなのだ。ほんと、嫌(^^;

それでも、他の選手が俺を見て「太っているから相当遅いんだろう」と思う心の隙をついて(笑)何度か区間賞を取っているので、更に抜けられなくなっている・・・(^^;

しかーし、今年はもう駄目だ。
去年の同じ時より体重が 6kgも増えてるし、11/3の「ひろしま国際平和マラソン」で10km走って以来、左の股関節のあたりが未だに痛い。歩いている時はいいのだが、立ち上がる時や走ってしばらくすると痛くなってくる。
あ、もちろんストレッチをしても痛い。
でも、ついつい S中駅伝監督から「今年もよろしくお願いしまーす」と電話がかかってくると「いいよー」と応えてしまう俺。ばかばか、俺のばか。

俺の所属する「別所畑」チームは、昨年、二十数年ぶりに優勝を果たした。なので、今年も期待が高いだろう(^^;いやぁ。俺のところで抜かれて優勝できなかったとか、いやぁ!!ほんま憂鬱やあ。

なので、昨日、タスキを受け取る場所まで移動中に(既に雨がぽつぽつ落ちてきていた)、すれ違った妹から「駅伝中止になったよ。」と聞いた時の俺の顔は、そりゃあすごい笑顔だったと思う。「よし!」ってガッツポーズはしたからね。

でも、タスキの受け渡し場所まで一応行ってみると、区間の記録員をボランティアでやっていただいている小学校の Car-May先生が「大人の駅伝は中止にならないと聞いていますよ」と言って俺の心をざわつかせる。
俺も若干パニクってしまって、「どうしてこの女はそんなに俺を走らせようとするのか!?恥をかかせようとするのか!!?」と、危うく罪のない Car-May先生にどす黒い感情をぶつけてしまうところであった(笑)

結局、やっぱり 300歳駅伝中止!!

ビバっ!!祖生ふるさと祭り!!ビバっ!!300歳駅伝!!ありがとーー!!ありがとーーー!!

俺は勝ったのだ。敵が何者かわからないが(^^;、俺は勝ったのだ!!

同じ 5区を走る予定だった、(小学校の保護者仲間なのだが)俺より随分若くスポーツマンの Tハシ君に「せっかくなんで、一応一緒に走っときませんか?」と誘われたのを必死で断り(^^;、俺はゼッケンを返すために嬉々と祖生グラウンドに向かったのであった。

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