ただ、日常: 2010年1月アーカイブ

今週は自治会の班長会議で「祖生民泊協力会班員の選出について」の話合いを行った。

平成23年の山口国体のカヌー競技が中山湖で行われるので、その選手を旧周東町で民泊の形で受け入れるのである。
全部で300名くらいの選手になるのだが、祖生で受け入れるのは 50名。上地区、下地区でそれぞれ25名ずつ受け入れることになる。

上地区、下地区で拠点になる場所があり、選手はそこでまとまって食事を摂ったりするのであまり拠点から離れた場所は民泊にふさわしくない。上地区は祖生公民館が拠点になるので、うちの自治会が距離的には限界だろうな。

まだ、それぞれの自治会に正式に人数が割り振られているわけではないのだが、うちの自治会は 7~8人くらい面倒をみることになるんじゃないかな。

で、各自治会から、

・総務班(全体取りまとめ)
・美化班(宿泊施設周辺の清掃・美化)
・歓迎班(駅までの送迎。歓迎会等の準備)
・調理班(食事の準備)
・宿泊班(宿泊場所の確保等)

といった作業班の担当者を選出しないといけないので、その話合いをしたわけだが、多分うちの家で新宅で2名、旧宅のほうで3名は受け入れられるので、「宿泊班は僕やりますよ」と立候補した。

宿泊班担当者は、宿泊場所を確保したり、布団などが足りなければリースの手配をしたり、選手、あるいは場所提供者の苦情窓口になったりといった役割なので、実際に宿泊場所を提供する人がやる必要はないのだが、俺がやるのが一番効率がいいだろうと。だって、7~8人中5人はうちに泊まってもらうことになるだろうから。

ま、問題は、その頃更に IT 不況が進み、社長の俺が「そんなことしてる場合じゃない」状態になってる可能性が多々あるということだけどねぇ・・・(^^;

一応、宿泊スケジュールは短くて 4泊 5日、長くて 6泊 7日。もしかしたら初日に負けて「負け帰り」する人がいたら 2泊 3日もあり得るかも・・・という話のようだが、負けたあとも帰らずに観光をしていく人も多いようなので、基本的にはフルに泊めるくらいのつもりでいたほうが良いということだった。

食事を用意する必要がないので、そこのところは、まあ、なんとかなるじゃろう。

出来れば汗臭い筋肉隆々のおっさんより、若い娘さんとかが泊まってくれた方が嬉しいな。もちろんおっさんでも歓迎しますよ(笑)

もう2週間前の話ですが。

未だにショックが尾をひき、わざわざ駐車券が発行されない 100円パーキングまで車を停めに行く日々です。

いや、まあ、俺のミスなんだけどね。

この間、100円パーキング「タイムズ観音本町第2駐車場」に車を停めて、ラーメンを食いに行ったのですわ。
で、30分後に帰ってきて車を出そうとすると・・・駐車券がありません・・・

実は、タイムズの駐車券って、以前も落としたことがあるのよ。
そのときは自分の仕事場で落としたんですぐに見つかったんだけど、この日は一般道のどこかで落とし、しかも風が強い日だったので・・・
涙目で駐車場とラーメン屋の間を二往復したけど見つからず・・・

何故、タイムズの駐車券をそんなに落とすのか・・・!?
実は、タイムズの駐車券って紙質がすべすべしてて固いので、ばっちり iPhone の画面に収まってしまうのだ。大きさもベストフィットなんで。
んで、iPhone をポケットから取り出す時に 90% 以上の高確率で一緒に出てきちゃう。(^^;

いや、わかっていた。わかっていたのだけど、そのときは混む前に店に入りたいとか、色々焦ってたんだろう。ついつい忘れていたのだ。

ほんま、最悪。

20100114_times.jpgで、諦めて、「仕方ねえな。2千円とか 3千円とか取られるんだろうな。ま、駐車券を落としたのは俺だからな」と精算しようとすると、俺の目に飛び込んできた信じがたい金額。

「ご・・・5千円!?」

あり得~ん!!

なんとまあ、1日停めてても 600円しか取らないタイムズ観音本町第2駐車場が、俺から 5千円ももぎ取ろうとしてるのですよ!!!!!!

久しぶりに立ちくらみが・・・

しかも、万札は使えんし!!

俺はもう一度車を元の場所に戻し、赤く染まった目で、「くそっ!くそっ!死ねっ!死ねっ!くそっ!くそっ!死ねっ!死ねっ!・・・」と悪態をつきながら近くのコンビニに両替に行ったのであります。

いや、もちろん、悪いのは俺だ。駐車券を落としたのは俺だ!俺が悪いのだ!

・・・しかし、5千円?30分だけ停めてた俺から 5千円!?
憎い、憎い、憎い・・・例え逆恨みであろうとも、憎い、憎い、憎い・・・

ということで、この日以来、少し歩いたところにある 100円パーキングへわざわざ行っておるのです。もう二度と、タイムズパーキングには停めねえ!あの憎き駐車券を発行するタイプの駐車場には停めねえ!

雨の日や寒い日など、ついつい仕事場に近いタイムズ観音本町第2駐車場に停めてしまいそうになる日もありますが、絶対、二度と使わねえ!という鉄の信念のもと、何とか利用を回避しております。

やっぱ、駐車番号入れて精算するタイプの100円パーキングが一番安心じゃね!

Twitter で @pgary さんがつぶやかれていたので、「プラチナ サライ」という雑誌の付録が万年筆であることを知った。

最近、仕事中もずっと LAMY の万年筆を使っているので、何となく万年筆という単語に心が反応しちゃうのよね。それでそのつぶやきがずっと頭の片隅に残ってたんだけど、今日本屋に行ったらあるじゃないですか、プラチナサライ。即買い。(笑)

早速カートリッジを差し込んで使ってみる。
う~む、なるほど。何か、LAMY と比べると「ザラザラした」書き心地。
まあ、雑誌の付録なんだからこんなもんか。でも、最初見た時は「小さすぎるじゃろ~」と思ったボディも、いざ手にしてみるとそんなに違和感も無い。

メッキがぴかぴか過ぎてちょっと下品なんだけど、思ってたよりしっかりした作りで、十分実用に耐えられる出来だ。金属製だから、ちゃんとズシっとした重みがあるのも良い。

20100127_manenhitsu.jpgで、発見してしまった。
俺が使っているミニ6サイズのシステム手帳にベストフィットサイズじゃん!

今はZEBRAのスライド式ボールペンを手帳のペンホルダーに挿してるんだけど、やっぱ携帯性優先だから書きにくいしね。こりゃあ、今度からスパークル(この万年筆の名前)を挿しとくべきだな。書き心地は、携帯用ボールペンと比べるとかなり良いよ。

元々俺は太い線が好きで、メモ用には三菱鉛筆のユニボールシグノというボールペンのボール径 0.7mm のモデルを使ってたんだけど、何か、いつも利用するホームセンターの棚から消えちゃったんだよなあ。
棚が縮小された時に慌てて買い占めたんだけど、あと、2~3本しか残ってない。
いや、ま、商品はまだ生きているので、置いてる店はどっかあると思うけどね。

ああ、若干話が横にずれたが、つまり、太い字の書ける万年筆は俺的にはナイスなわけであります。

ということで、早速明日のお客さんとの打合せからスパークルをフル稼働しますぜ。
さて、手になじんでくれるかな。

昨日お客さんのところに行くと、このブログを読んでくれた方から「僕も若い頃、広島で遊ぶのに飽きてニューソレントとか行ってましたよ!」という話が。

それから別の人なんだけど、若い頃大野町に住んでて「映画は広島ではなく岩国に見に行っていた」という方としばし岩国の映画館の話に花が咲いた。まあ、「ええ!?ニューセントラルってまだあるんですか!?」というような寂しい話中心だったが。(^^;

あれですねえ。これは是非とも英語の堪能な人間を見つけて、岩国基地近くの店探索ツアーをやらないといけないですね。(笑)

いきなりニューソレント・・・は、尿道の緩くなってる中年男子には重荷なので、Jimmy が書いた不気味なイラストが噂の「スナック若水」あたりから。(笑)

そして、いつかはまたニューソレントへ。:-P

最近、Twitter で米軍のことがよく話題になってるんで、若い頃、南岩国にある(多分、今もある?)米軍兵御用達の「ニューソレント」というディスコに行った時のことを思い出した。

もう、20年近く前のことだ。

その頃勤めていた会社の先輩たちと広島の居酒屋で呑んでたんだが、そのうち妙にテンションが上がってしまい、「よし、今から岩国ベース近くのディスコに行こう!」ということに。(^^;

ま、移動方法は気になさらずに。

結局、なんだかんだで「ニューソレント」についたのは深夜だったが、しっかり店は営業している。
店に入ってみると、客の90%は米軍兵とその恋人(?)の女の子。そこに10%くらい日本人の女子が混ざってて、俺らみたいなスーツ姿のサラリーマンなんか皆無という状態。

入場料+ビール代 1,500円を払って入場。踊れないので適当にボックス席に座って瓶ビールをラッパ飲みしながら店内の様子を見る。
いやあ、もう、なんつうか、歩くのも苦労するほど混み合った店内に大音量のロックが流れ、そこで「外人さん」たちが踊り狂う姿を見ていると、「この店内は(基地外にある店だが)外国なんだな」と実感。ま、だからといって全然ビビったりはしなかったんだが・・・

いやあ、でも、トイレに行ったら・・・状況一変。怖かった(^^;

小汚いタイルの上に座り込んで虚ろな目をしている米軍兵や、ガムをくっちゃくっちゃやりながら壁にもたれかかりこっちをじーっと見ている米軍兵に囲まれて、日本サイズのチンコ出して小用を足すのは・・・いやあ・・・怖い・・・

だって、そこの床に虚ろな目をして座り込んでるお前!
お前、ほんとに酔ってるだけだろうな!?変なおクスリを注射したり、鼻から吸ったりしてないだろうな!?ええ!?どうなのよ?いきなり俺にぶっといコンバットナイフを突き刺したりせんじゃろうな!?・・・と、ビビりまくり、目も合わさずトイレを後にした。(^^;

まあ、確かに、あの時トイレで見たような状態の米軍兵が街をうろついていたら、やっぱ怖いだろうな。なので、米軍住宅の話に「治安が...」とか「怖い」という理由で反対している人がいるのはわかるのよ、俺。

この後、俺らのメンバーの一人と日本人の女が店内で大喧嘩を開始。(^^;

「私らぁはねぇ、あんたらみたいな日本人の男は相手にせんのんよ!」
「うるせえ、このパンスケ!」

みたいな罵り合いで、その女の子たちと一緒だった黒人兵が「やめろ!」と割ってはいるが罵り合いは止まらない。でも、この黒人兵、いきなり俺らに殴りかかってくることもなく、「やめろよ、ほんとに」という感じで両名をなだめてる。
米軍兵だから、喧嘩になったらいきなりカーッと頭に血が上って暴力に走るってこともないんだよ。
だから、「人を殺すための訓練を受けてる米軍兵が街を歩くだけでも危険」的な話をする馬鹿は、「はぁ?何言ってるの、お前」と蔑んじゃう。

まあ、そういうことさ。

言いたいこと、わかってくれる?:-) ラブ&ピース

20100116_karuta.jpg  20100116_dodgeball.jpg

この土曜日(1/16)は息子たちの小学校は「ふれあい参観日」で、父兄も含めてカルタ大会やドッジボール大会が開催された。

そうしたイベントの前に授業参観があって、長男坊のクラス(3,4年の複式)は地理の授業だった。

岩国市に隣接する市町村を発表していたのだが、平成の大合併以降の地理は俺もようわからん。
岩国市の北にある大きな市町村は何だっけ?と黒板に貼ってある白地図を見ながら思ってたんだが、それは子供達の発表によると阿東町だった。

「うへぇ~阿東町、あんなにでかいのか?つーか、あんなにでかくても市になる要件(人口とか?)を満たさないのか?」

・・・と、少々驚いていると先生が一言。

「実は今日、阿東町は山口市と合併して無くなります」

ほげぇ~!?

リアルに、地理の授業の中でひとつの町が消えていき「なかったことにされる」瞬間を目撃してしまった。(笑)

周東町の岩国市への合併は俺が広島に住んでいる時に行われたのであまり現実感がなかったんだが、やっぱり自分が生まれ育った町の名前が消えるというのは寂しいもんだよなあ。
何せ、授業の中で阿東町の名前が消えただけで寂しくなったよ。(^^;

ちなみに、これで山口県内最大(面積)の市は山口市となりました。
今までは岩国市だったんだけどな。残念・・・でもないが。(笑)

先週末は隣の平畑地区の「とんど」があったので、うちの門松やしめ飾りを持って行ってきた。

57839814.jpg実はその日は広島から外注さんに来てもらって Firewall box の設定とかしてたんで、その辺の作業手順の打合せとかしてたら家を出るのはちょっと遅くなった。

行った時には既に火が点いていたが、全体にはまだまわっていなかったので、うちの門松の竹もこそこそと周りに置いていった。あくまで隣の自治会の催しじゃけえね。わしらはそれに参加させてもらってるだけなので気をつかうのだ。寄付もしてないし。(笑)

そう言えば去年も友人のO君とタダ酒を飲みながら「来年は寄付したほうがええかねえ」とか言ってたんだが、すっかり忘れてた。
現場で嫁さんが「寄付したほうがええんじゃない?」と言ってたんだけど、袋も持ってきてないけえねえ。裸銭で渡すのは如何にも思いつきでやってます感が強くて何となくねえ...。(^^;

20100117_shihsi_57850527.jpg今年は、毎年俺と焚き火の周りで深酒をするO君が「呑むと何も出来んようなるけえ」と言ってさっさと帰ってしまったので、俺もいまいち盛り上がらない。
少年野球チームのパパさん仲間と馬鹿話をしながら日本酒いっぱい、缶ビール一本を空けて終わり。

その後のビンゴ大会や猪用の罠の説明会には興味がなかったので、さきにお暇した。
ま、実際、家で外注さんとサーバ構築の仕事をしていたわけで。(笑)

しかし、今年は久しぶりにシシ肉(猪の肉)の焼肉を食べたが、なかなかイケるなあ。ちゃんと処理されてたんだろう、まったく変な獣臭さとかもなく実に美味かった。

そうそう。俺が帰った直後くらいに福田岩国市長が顔を出したようだ。
そんな有名な祭りとか行事じゃないのにご苦労なことだ。確か、井原前市長も来てくれたことがある。

地元議員が無理矢理頼んだ面もあるんだろうが、こうして市長が足を運んでくれるのは良いことだ。若い頃の俺なら、「こんなところに来なくてもいいから、市政をしっかりやれ」とか野次を飛ばしていたと思うが、今は大歓迎だ。
やっぱ、市長が来てくれると、弱ってるジジババたちのモチベーションが上がるからな。
特に合併以降、田舎は切り捨てられるんじゃないかと不安に思っている人たちにとっては、市長が顔を出してくれるだけで安心材料となるだろう。
忙しいとは思うががんばっちくり。>市長

昨夜、あ、もう一昨夜か。ま、つまり、この木曜日の夜に祖生東小学校で、学校統廃合についての「意見交換会」があった。
岩国市内で8校目。周東町内では初めてだったようだ。

岩国市は平成20年に決めた学校統廃合の方針をもって、今年の9月頃までに具体的なスケジュールを決めていくという。その前にちゃんと各校PTAの意見を聞きなさいよという指示が福田市長からあったのだそうだ。

んが、結局市側から「こうしますよ」という具体的な説明があった上での意見交換会ではなく、ただ単に「学校統廃合に対する意見をお聞かせください」というものだったのでまったく盛り上がらなかった。

だって、これじゃあ一般論しか話せないでしょ?

俺も何も話す気にならなかったんだけど、あまりに会が盛り上がらないので

・こんな会じゃ『学校統廃合した方が良い場合もあるでしょうねえ』くらいの意見しか出ませんぜ。
・それをもって『祖生東小学校では反対意見は出ませんでした』なんて市長に報告されちゃ困りますぜ。
・市の方針で決まってるから・・・ではなく、統廃合するメリット、しないデメリットを市としてどう考えているか説明してくれないと、『メリット無いなら、うちは現状維持で良いです』という結論しか出ないでしょ?

というような意見を言わせてもらった。
具体的な計画を示せなくても、せめて、「なぜ岩国市は学校統廃合したほうが良いと思っているのか」くらいは示しなさいよと。

それを受けて市側からは、少人数校のデメリットと統廃合した後のメリットが説明されたが、結局「複式学級の負担(教師も児童も)」「クラス替可能にすることでの人間関係の改善(いじめ、生理的に嫌いな人間と同じクラスである圧迫感からの回避)」「対人機会が少ないことによる対人関係能力の劣化」等、そう信じている人は多いのかもしれないが、現場の人間からすると「はぁ?」なことばかり出てきた。

結局、

「複式学級は問題あるって言われても、実際に中学校で祖生の子たちは成績良いんだから関係ないでしょ?」
「うちの息子も一人学級だったけど、大きな中学、高校に平気で通ってましたけど?」

という反応で終わり。

市側からは「今まで訪問した 7校には、全校で女の子が一人だけの学校もあり、そのお母さんからは『早く学校を統合して、娘に女の子の友達を作る楽しみを教えてやってくれ』と悲痛な叫びを聞いた」みたいな話もあったが、それで盛り上がるはずもなく・・・

Yさんの「それなら、どうぞそういう学校から急ぎ統廃合を実施してください。必要も感じてないところまでまとめてやろうとするから時間がかかってしまうんじゃないですか?」という意見が正論だ。

「いや、例えば祖生東小学校が何年か後にそういう状況になって、その時に早く統合してくれとか言われても無理なんですよ。だから、今のうちにそうなった時のことを想像して検討してほしいんです」と市側から話があったが、やっぱ、「はぁ、まあ、おっしゃりたいことはわかりますけど。結局、女の子一人の状況をどこまで悲惨な状況と捉えるかも人それぞれだしねえ・・・」と盛り上がらない。

結局、市側ももっと腹を割って思ってることをさらけ出してくれないと、一般論では議論にならないということだ。
具体的な計画に縛られない多様な意見を聞きたかったという市側の言い分も少しはわかるが、具体的な計画に縛られない「一般論」を集めても意味はないじゃろ?

最初に書いたように、『学校統廃合した方が良い場合もあるでしょうねえ』以上の意見なんか出るわけないじゃん。

ほんと、意味の無い会だった。
まあ、「意見交換会を開きました」という事実が必要だったんだろうけど。
その報告を受けて納得してるようじゃ、福田君にもがっかりという感じだな。

さてさて、今日は15日。松の内終了。

20100115_kadomatsu.jpg最近は松の内を 7日頃としている地区も多いらしいが、うちの田舎は昔ながらの15日としているようだ。

実は、俺はそういう話にはめっぽう疎くて、今年も玄関の戸に当たって邪魔くさいので、 5日の朝にはしめ飾りを取っ払ってしまい嫁さんに叱られたくらいだ(^^;

んが、門松は親父が毎年本格的なものを玄関先に作るので、俺一人で撤去というのは骨が折れる。で、5日の夕方、親父に「門松撤去しようで」と言いに行って、「松の内の間は飾っとくもんなんじゃ」とやっぱり叱られた。44歳にもなって。

多分、俺の前世はイタリア人なのだ。だから、日本の風俗に弱くても仕方ないのである。

ま、ということで、本日門松撤去完了。
17日に平畑地区のとんどがあるので、そこに持っていって燃やすのである。
とんどでは、日本酒が(ま、上撰の安い酒だけど・・・と言ったら怒られるが(^^;)しこたま振る舞われるので呑兵衛にはたまらないのである。

ごーごーと燃える火を見ながら呑む酒は格別じゃけえねえ。

昨日、岩国ニューセントラルで「アバター」を見たという話は書いたが、その時の出来事。

昨日は珍しく(正月はいつもあんなもんなのかねえ?)混んでいたので、俺と弟は最後部の真ん中のブロックに座って上映開始を待っていた。
そしたら、なんか、横の方でガチャガチャ音がするわけよ。なんだ?と思って見てみると、黒人夫婦が手押し車のようなものを必至でシートの間に入れようとして悪戦苦闘してるわけ。

よく見ると、ベビーカーだよ・・・

「えっ!?」と思ったが、その時点で赤ん坊の姿は見えなかったし、ベビーカーが通路を塞いだために使えないシートは出来ていたが、まあ、そこまでぎゅーぎゅーに混んでたわけでもないので、「え?」っていう顔をしている人は俺の他にも何人かいたが、何も言う人はいなかった。

が、この赤ん坊が、話が盛り上がってくる後半の戦闘シーンで、音に驚いては泣き声を発するようになったのである。
まだ小さいのか、それほど大きな声ではなかったのが救いだったのだが、

どどーーーーん!(爆発音)
ふんぎゃあ!(赤ん坊の泣き声)
どしーん、どしーん!(巨大な生き物が体当たりをする音)
ふんぎゃあ!(赤ん坊の泣き声)

という感じなのだ。
ずっと泣き続けというわけでもなかったので、結局最後まで文句を言う人もいなかったのだが、これはどうなのだろう?
俺らの2,3倍の太さは優にある黒人の腕を見て、文句が言えなかった人もいるだろうなあ・・・と思ったり。

今は、赤ん坊を連れて映画館というのは当たり前なのだろうか?

うちにも1歳児がいるが、さすがに映画館に連れて入ろうとは思わない。他人に迷惑をかけるのがわかりきっているからだ。なので、映画を見たい時は夫婦一緒ではなく一人ずつ見ようね。映画を見ない方が、その間娘を見ることにしようねと・・・と日頃から言っている。
それが当たり前だと思っていた。

例えば MOVIX周南では、赤ちゃん連れで映画が見れるママさんデーが設定されている。そういう意味でも、やっぱ普通は駄目なんじゃないのか?赤ちゃん連れというのは。
少なくとも、日本ではそういう同意がなされているのではないだろうか?映画館の入り口にでかでかと書いてなくても、暗黙のルールとして。

例えば、米国では赤ん坊連れて映画館に入るのなんか当たり前よ!というのなら、そして、岩国ではその米国流の様式を公共の場で取り入れることにしているよ!というのなら、米軍や市はもっとそれを公知すべきである。米国流のやり方に、岩国市民は文句をつけるなと。

そうではないのなら・・・難しいなあ・・・どうすりゃいいのかね?

日本からすると「ちゃんと日本の常識を兵士に教育してよ!」だし、米軍からしたら「そういうことで市民から不満の声が出ないように、国や岩国市がうまいことやってよ」だろうし。

映画館に赤ん坊連れて入っただけ・・・の話ではあるが、でも、こういう些細なことから市民の米軍に対する悪感情は広がっていくものである。

さてさて。

そう言えば、年末に岩国ニューセントラルって改装やってたんだよね?

20100101_eiga.jpgでも、今日 5F を見たけど、シートが新しくなった(当然床も?)以外になんか変わってたんかな?

天井は相変わらず、「あれってアスベストじゃねえの?」って一瞬疑ってしまう汚ねえネズミ色のゴワゴワした素材が剥き出しだし、スクリーンのカーテンは相変わらずぎこちない動きで開くし。

ロビーの暗さも特筆もんだよなあ。(^^;
何か、暗い気持ちになるよ、あのロビー。

音響設備とか、映写機とかが新しくなったんだろうか?
う~む・・・Web サイトの「施設のご案内」コンテンツがまだ整備されていないので、詳細不明。

ところで、やっぱり岩国って狭いよなあ。

今日、アバターを見終わって映画館を出たら、俺らが見た字幕版の後の吹替版を見に来た従姉一家とばったり出くわしてしまったよ。
いい歳して、弟と二人で映画を見ていたのを知られてちょっと恥ずかしかったな。(^^;

岩国駅前の年末のイルミネーション。

徳山駅前のイルミネーションと比べるとしょぼいのだが、詩仙堂のペンシルビル(失礼(^^;)が全面青色に輝いててきれい。

20091228_iwakuni.jpgしかし、なんか、どこもかしこもクリスマスシーズンには派手な電飾をするようになりましたなあ。
今時は、この季節に商店街なんかを歩くときに大きなイルミネーションがなかったら「あれ?どうしたの?」とか不思議に思うようになっちゃって。(^^;

まあ、でも、実際のところ、夜は出来るだけ明るくしてほしいよ。

エコな人からすると、「無駄な電気は使うな」とか「本来、夜は暗いものだ」とか言いたいかもしれないけど、発電事情に詳しい人なら、夜だけ発電量を絞るわけにいかないんだから、街灯で電気をバンバン使うのは全然問題ない。街を明るくするのはエコに反しない・・・と言うだろう。
それに、「街暮らしのエコな方」は知らないだろうが、田舎の暗さ(特に冬)は格別だからなあ。(^^; 中年男子の俺でも怖いくらい。

なので、イルミネーションは基本的に大歓迎なのであります。

街に住んでたときはまったくそういうのに興味なかったというか、「よくやるなあ。」と半ば呆れていたくらいなのだが、あまりに田舎の夜は寂しすぎるので、最近俺自身「イルミネーション、やっちゃおうかな。むふふ」とか思うようになった。
嫁さんに「電気代かかるからやめてくれい!」と言われて今年も断念したが、来年は娘もそういうのが「きれい」と分かるようになる年頃だし・・・
家の前の木に、白色LEDの電飾を這わすだけでもきれいなんじゃないかなあ。

少しでも灯りが増えれば、冬の暗い道を自転車で通う中高生たちもホっとすると思うんだよなねえ。

いや、ほんとに、田舎の夜の暗さは「レベルが違う」よ。(笑)

多分、元旦に高照寺山へ登るのは、20数年ぶりじゃないかと・・・

最後に歩いて登ったのは、確か中学三年の時。卒業記念に高照寺山の頂で鍋をやろうというよく分からない企画を立て、友達4、5人と山頂で火をおこしているところを通信設備を管理してる職員さんに「こら!ここは火気厳禁じゃ!」と怒られた事件以来だ。(高照寺山の頂には宿直者のいる通信設備があった)

20100101_koushouji1.JPG息子たちが小学生のうちに、一度くらいは(鍛錬のために(笑))登らせようと思ってたんだよね、昔から。あの寒くて暗い山道を。
ということで、いやがる長男、次男を無理矢理同行させ、高照寺山元旦登山と相成ったわけである。

何せ、数十年ぶりなので、山頂まで歩いてどのくらいかかるかもわからん。(^^;
が、登山口のバス亭のところに、5:30 集合って横断幕がかかっていたので、まあ、そのくらいの時間に出発すればいいんだろうなあ・・・と。でも、ヘタレの次男坊がいるので、少し早めに出た方がいいだろうな・・・と、結局、5:20 に登山口を出発した。

俺が子供の頃はけっこう登る人が多くて、小学生の半数は登ってたもんだが(それも子供たちだけで)、最近はめっきり廃れてしまっているようで、途中、全然人に会わない。
時々、車で登っていく人はいるのだが、歩いている人に全然出逢わないので、息子たちがブー垂れること。(^^;「誰も歩いて登ってる人なんかおらんじゃん!」と。

が、途中、やっと息子と同じ小学校に通うT君親子に遭遇。次男坊の一学年下、小学一年生の男の子だが、次男坊よりよっぽど動きが良くて、結局俺たちを軽々と追い抜き姿が見えなくなってしまった。(^^;
抜かれる時に聞いた話では、平前の自宅から歩いてきたって話。じゃ、その時点で俺らより 1km 以上余分に歩いてるってことだ。元気だなぁ・・・うちの次男坊も見習ってほしい。(--;

高照寺山は山頂まで全面舗装されているので足下は良い。
が、歩き始めて 3km を過ぎる頃。標高 400m 辺りから所々路面が凍結している。
標高 470m地点。通津分かれのところを左に折れて山頂に向かう道は、ほとんどが凍結という状況だ。やっぱ、たかだか645mの山(iPhone の GPS では標高 660m と表示)だと言っても、下界とは全然環境が違う。風も、耳がちぎれそうなくらい冷たくするどいものに変わってきた。

で、出発から 1時間40分で頂上到着
けっこう長時間歩いたような気がしてたが、そんなもんなのか。まあ、日の出が 7:17 の予定なので、反対に 5:30 に出発ならそのくらいで到着せんと初日の出は見れないってことだもんな。

山頂には約 50人の人たち。
思ってたよりは居るが、俺らの子供の頃の賑やかさに比べると随分と寂しい。

20100101_koushouji2.JPGしかし、山頂、ムチャクチャ寒いっす。最近下界では経験したことが無いような冷たい風がびゅーびゅー吹いてまんがな。
しかも、日の出予定時間になっても、黒い雲が空を覆い、全然太陽が出てこんし。(^^;
しばらく待ったのだが、雲が逃げていく感じが全然しなかったので撤退決定。(^^;
登る時は(「帰ろう」「疲れた」を連発する次男坊と違い)文句を言わずに着いてきた長男坊も、さすがの山頂の「冷たさ」に(既に、「寒さ」の域を超えている(^^;)ギブアップ。「帰ろう、帰ろう」を連発するし。(^^;

結局、下山している途中の 7:40頃。稜線の上に太陽が昇ってきたので息子たちと一緒に手を合わせた。
俺は家族の健康を願ったが、息子たちは何を願ったのだろう。
「来年は馬鹿な親父が、思いつきで高照寺山に登ろうとか言い出しませんように!」じゃないやろうなあ?(^^;

しかし、下りはキツイ。一気に膝とふくらはぎが痛くなってしまった。(^^;

さてさて、ところで、本当に高照寺山登山って寂しくなったねえ。
以前は山頂近くで末元の自治会の人たちが「ぜんざい」を振る舞っていたがそれも無し。
あれ、寒い中震えながら登ってきて、ほっと一息着ける瞬間だったんだよなあ。
やはり、過疎化で人が減って、そういう活動がなかなか難しくなっているようである。

新年早々、俺が高照寺山登山で出来ることって何だ!?とか考えちゃったよ。(^^;
もしかしたら、来年は山の上でぜんざい作ってる俺の姿があるかもね。(笑)

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